晴れ
夏休みをもらった。おばあちゃんに会いに行った。
多分、このブログにも書いたかもしれないけれど去年も会いに行った。去年とは全然状況が違うけれど。おばあちゃんは今年の5月にガンであることがわかった。
病気とは不思議なものでそれにかかると急に命の砂時計のようなものを胸に埋め込まれたみたいになる。
今も刻一刻と砂は落ちている。
もう来年雪が溶けた頃には、会えないのかもしれない。
会いたいと強く願ってはいるもののふとこれが最後なのかもと思うと胸がしめつけられる。
祖父母が住むのはお年寄りだらけの田舎なのだけれどそこから都会にいくとそのエネルギー量に驚く。最初は辟易する。
みんなが生命力に溢れ、明日が来ることを信じて生きている。そしてみんなが明日も生きている。
そんな活気に、自分は置いてかれた気分になる。最初は。そしてだんだんと自分を慣らしていく。
じめっぽいことばかり言っているけれどそれ以外のところはすごく楽しい。同居人みたいな人がいて、その人とは私が旅行にくるまでは毎日一緒にいた。
一緒にいると、優しい気持ちになる。ほっとする。心が大きくなる。
寝顔や寝息を立ててる様子がかわいかったり、ごはんを食べている様子とか眠そうにしている姿とかたまにはしゃぐ姿とかも見ていると幸せな気持ちになる。笑顔もすき。
上機嫌になると声がぽんと弾む。落ち込んでいると声が小さく小さくなる。
食事は私が手を怪我してから外で食べてばかりなのに嫌がらずにいてくれる。あと、ファミレスとか、そういうお互いの家族で行っていた場所によく行ってくれて嬉しい気持ちになる。家族に帰ってきている感じ。
それに良いと思うことは嬉しいと伝えられるし嫌なこともすぐに言える。言ってくれる。だからやめられるしやめてもらえる。居心地がいいなと思うし私ももっとなにかしてあげたいとも思う。ただ性根が暴君なので難しいのだろうか。私は今まで自分が心優しい人間だと思っていたけれど幼少期は近所で会った知らない子供のおもちゃを奪おうとするなど暴君にも程があったらしい。
転園した幼稚園に馴染めず閉じこもった性格になっていくのだが、それはまた別の話で。
嘔吐
おとといにめちゃくちゃ吐いた。
会社の飲み会があり、1度休憩したくなって更衣室に戻ったところ(もしくはトイレに行ったあと更衣室に行ったのか?不明)
トイレでうわあーなんだか具合が悪いなと思いしゃがみこんで顔を便器に向けた。
私は幼少期に畳の上で嘔吐したトラウマでか嘔吐をすることができない。だからいつも真似事をして気持ちを落ち着かせる。
そのはずが出てきた。しかもものすごく勢い。
めちゃくちゃに吐いたあとまた噴水のようにでてきてこれがマーライオンか!!と思った。
コンタクトを酔った勢いではずしていたから視界ぼやぼやでよくわからなかったけど嘔吐物は去年後輩が某駅でげろげろ吐いてたそれに似ていた。そりゃそうか。
それから翌日は喉のあたりがいがいがしてて嫌だった。
そして今日、嘔吐したのは嘘だったの?と言うくらい元気。
夢なのだろうか。
■
昔のブログを見ていたらおばあちゃんに会った時のことが書いてあった。ガンのこと、もう多分…ということを知らないうちの私の言葉だった。涙がでてしまった。
私は変わらないものが安心するから人間付き合いが苦手なのだと思う。人付き合いでは時間とともに風化する関係もあるしそこに比較も伴う。一番の友達は一年たっても一番なのか?答えは時と場合によりノーのように思う。それをなんとなく肌で感じてしまったときに、すごく悲しい。そして人間はいつか死ぬ。
変わらない友情、変わらない愛情、変わらない言葉、変わらない性格、変わらない命、
私は変わりたいと思う一方で変わるなにかを恐れているのだろう。
変わらないことの方がおかしいのに、最初の価値観で凝り固まっている。
わらう
今日は沢山笑っていた。ビュッフェのごはんも食べた。
人付き合いのやりかたも変わった気がした。嫌なことをさりげなくノーと言えるようになっていた。
小さいことちょっと遊んだ。あとカラオケで踊ったりした。楽しかった。
散々笑うと疲れたのかひとりが心地いい。でも、一緒にいる人が帰れるかわからないとなると八つ当たりしてしまう。ちょっとした嫉妬もあるのかもしれない。私はあんまり人と仲良くなれないからいろんな人とうまくやる人が羨ましいんだろう。そういうの、かっこわるい。
あと、夏の夜は怪談話を思い出してしまって怖い思いをすることが多い。だからなるべく、その人と一緒にいたくてぶつかってしまう。
楽しいこと、いいことだけ思い出したい。けれども、低空飛行のまんま落ち着いていたい。こもっていたい。矛盾。けれどもこれで人に会うわけにはいかない。顔を見れば普通になるのだろうか。
おんな
今日はおやすみ。
実家に帰って、今日はよくねた。お友達のところに行きたかったけれど指も安静にしたいしなあと思っていたら時間がどんぶらこと流れて、病院の時間に。
胸が痛くて気になってたら異常はなかった。押すと痛くて気になっていたけれど、成長痛のようなものらしい。
最近からだの不調や違和感が多くて、普通ってどんなんだっけ、みたいなことが多くなってしまった。これまですごく健康だったんだと思う。
あとこれまでメンタルがやられると熱を出したりしていたけれど熱ではなく怪我や身体のトラブルで出るようになった。ちょっとやだなって思う。
これまで沢山死んでしまいたいと思うことがあったけれど今は生きたいと思ってる。やっぱり、大切な人がいるから。今、家族ではないけれどそういう人がいるから。今、わりと近くにいて、自分にとって必要なのはこの人なのだと思うしただの思い上がりなのではと思うがこの人にも私がいないといけないと思うから。それはお友達と私という関係もそうなのだけれど、その人とは普段ずっと一緒にいるからかもしれない。年齢かもしれない。おばあちゃんの病気があるからかもしれない。
やっと、私がいなくなってしまったら世の中にとってマイナスなのだなという意識が強まった。周りの人たちもそうで、私の好きなお友達や家族は尚更だ。
何度も言っているが死にたいと思うことをやめるようにしようと思う。
話は変わるけれど仕事の中で女性にとって、もっと働きやすい職場にしようという改善グループのメンバーに選ばれそうとのことだった。別組織の人が私を指名したらしい。ほんとかあてにはならない情報だけれど。
まぁ、マイノリティの問題や男女の性差問題については得意科目だと思うしずっと考えていたし、ぜひやりたいと思っている。このまま企画が無しにならないといい。
そして情報を今から集めているけれどまず、女性が働きやすい環境とは?というところで。
例えば荷物が重いだとか産休だとか、そういうものもそうなのだけれどそもそもそれは「仕事がしたくて、でも続けられない人」に向けた施策だと思う。
だけどこれまで仕事をしてきて仕事がしたいと言う気持ちを男女による性差で摘まれてしまう女性って多いなと思っていて。
女性だけではなく空気の読めない男の子や力のない子、少し浮いた子、も同じ。
まずやる気を失ってしまう。
自分は職場についででいるんだと思っていた。思っている。いさせてもらってるんだ、と思う。ついでにいさせてもらってる存在だから雑務はしないと…とか、そんな気持ちを持ちながら働いている。別組織の人に「あなたは苦しみながら仕事をしているね。どうして?」と何度か言われたことがある。なんでなんだろうね。
技術系の仕事は就職してから技術を学ばないといけないのにその機会を「女だから」「いけすかないやつだから」と奪われてしまう。
本人の努力次第…そうかもしれないけれど、その努力はもし男性だったら、定型発達していたら、必要なかったかもしれない。
なんていうのかな、そもそもの風土があまりよくない。よくなくて活躍の機会も少ない。それで給料高くない。それで肉体的に辛いことが多い。
私は職場に恵まれ、同期や周りの人、評価制度にもわりと恵まれたと思う。でもそうでなく、うつ病になってしまった同期の女の子もいるし辞めていった人もいる。私も辛い思いを何度かした。理系の道に進まなければどうなってたかと、たまに思ってしまう。それは中学三年生にまで遡るんだけど(笑)
男女関係なく自分の仕事を人に勧めたかったらその道を目指す人にぜひ、と言えるところか?と聞かれたら私はやめとけというかもしれない。そういうのって、なんでなんだろうね。それが少しでも少なくなるように、できればいいな。
上司もこういう企画はすぐなくなるからと言っていたけれどまぁいっかーって気持ちでがんばりたいな。
本当は別組織の人とかと本音でお話がしたい。会社のホームページには志高いコメントいっぱい載ってるけどどうなの?
志低いだけなのかなぁわたしが。
空の上から
不思議な気持ちになる。