彼はロッカー
あなたがあなたらしくいる姿が好き
常に、永遠に、あなたの笑顔は私の幸せ
さぁリップを塗って
アイシャドウを乗せて
外に出よう
目の前の女の人の持ってるカバンの和訳。
愛は記号なのでしょうか。
愛ってなんだろう。
私は陶酔することだと思ってた。
夢中になること、病みつきになること、音楽を聴いていてふとその人を思い出すこと、絶対ビートモーターズが好きだとか考えてみること、実際ナンバーガールが好きでたまらなくなること。くるりのばらの花が大切な曲になってしまうこと。意味もなく街を旅したくなること。
でも最近ちょっと変わってきたのかもしれない。ただいてくれることを嬉しく思うことが愛なのかもしれない。相変わらず
ってところまで書いたけどうまく言葉をまとめられなくなっちゃった。
自分が何を伝えたいのかわからなくなってしまうことが多い。
なにが伝わってしまうのかわからなくなってしまうことが多い。
相手へ伝わるなにかと自分の伝えたいなにかのバランスが取れなくなってしまうとわからないと言ってしまうことが多い。
それだけ恐れていても自分の提供したいイメージと人の受け取るそれは違うのだから難しい。そういう時にしんしんと心になにかが積もる。ああああ〜って。
でもそれを常に考えているとめんどくさい人間になってしまう。めんどくさい人間がなぜいけないのか、わからないけれどできるだけ簡単に、とは思ってしまう。
感情なんてなくなってしまえば、いいのにね。なんて、そう、あー
って書いてたら電車がついて会社にいって仕事飲み会をしてそれすら終わってしまった
人が沢山いるところに長くいると気持ちがナーバスになる時があってむしゃくしゃしてどうしようもなくなってしまって遠くまで走ってた
心が鬱いだら運動をすると体温が上がって思考回路が鈍くなるからいいんだよって言われたことがある
筋肉もつけるといいのはそれで体温があがるから
体育会系の人が心を病みにくいのはそのせいだとか言ってた。
本当かわかんないけど走った。
走ったら揺れる街灯と自分に目もくれない景色がすごく楽しくて心地よくて
わーって走って、ジムの成果か思ったより走れて、でも、あー、うわー、みたいな気分がぶりかえしてそっと泣いてた。メンヘラかよ。って、思ってた。
沢山の他人が交差する場所は疲れる。人と向き合うとヒリヒリする。向き合うと目が合うと汚い自分が写ってる。泥みたいな、なんていうの。なにもうまくいかない自分がそういう自分をわかってませんって顔でへらへらと笑っている。そういう自分が写ってる。人の厳しい目を感じる。被害妄想が強くて疲れる。話してても卑屈なことしか言えなくて疲れさせてるんだろうと思うから疲れふ。でももう、そういうことも言ってはいられなくて。感傷に浸ることができるのってあと何年なんだろう。っていうか変なこと言い過ぎ、数年後の黒歴史になることを願っています。
月1のあれもうとっくにおわってるのになんだこれ。