堂々巡り
よく自分が何者なのだかわからなくなる。
会話をしていても、なにをしていても、相手や関係者からみた自分というものを損なわないようにしながら、できるだけ相手の普通や許容範囲に沿った形で人格形成をしている。もしくは許容範囲外の発言をしてわざと会話を終わらせてしまう。会話が苦痛で仕方がない。
人格形成というか言動を変えている。自分らしくあれと言う人間やいいこぶるなという人間にはそれなりの悪態や過激な言葉づかいをもってそれなりにやり過ごしてしまう癖がついた。
と考えている自分も偽物なのかもしれない。
本当は悪い人間なのかもしれない。だけれど、人の事はなるべく悪く言いたくない。でも、言わないとつまらない奴と排除されるのではないかという妄信が消えない。
それこそいいこぶってるのかもしれない。でも何が悪いことをするというのはなにかしらのリスクがあるし面倒なのである。例えば悪口を言えばそれが漏れるリスクもあるし言った相手に対してほかにばらまかないかのマネジメントを常にしないといけなくなる。秘密もそう。
それなのに悪いことを話したりやったりいいこぶってみたり自分はなんなのだろう。
私は誰なんだろう。
そうしてみたって器用でないからうまくやれず、結局人に馬鹿にされている。表向きでは優しい人間も酒が入るだの、様々な側面で顔を出す仕草から伝わる。悲しくて、怖い。そして尊厳を守られる要素のない自分はなんなのだろうとおもう。顔が醜いからか、体型が醜いからか、性格なのか、声なのか、話し方なのか、知性にかけるからか、いじめられていたからか、馴染めないからなのか、わからない。消えてしまいたいとその瞬間に思う。消えてしまいたい。
もちろん自分に対して善意を向けてくれる人もいる。でもうまくそこだけに目を向けられない。いつだって同じような心無い言葉に傷つけられている。
もっと自分のことじゃなくて外に目を向けたい。
自分はわたしは周りから、なんて子供みたいなことはもう言ってられない。
でも、自分の肯定できなさや受け入れられなさ、馬鹿にされているような雰囲気はずっと変わらない。堂々巡り。
私は誰なんだろう。誰になればいいんだろう。