ホットケーキは生がいちばん

頭ゆるゆるなインターネット

わらう

今日は沢山笑っていた。ビュッフェのごはんも食べた。

人付き合いのやりかたも変わった気がした。嫌なことをさりげなくノーと言えるようになっていた。

小さいことちょっと遊んだ。あとカラオケで踊ったりした。楽しかった。


散々笑うと疲れたのかひとりが心地いい。でも、一緒にいる人が帰れるかわからないとなると八つ当たりしてしまう。ちょっとした嫉妬もあるのかもしれない。私はあんまり人と仲良くなれないからいろんな人とうまくやる人が羨ましいんだろう。そういうの、かっこわるい。

あと、夏の夜は怪談話を思い出してしまって怖い思いをすることが多い。だからなるべく、その人と一緒にいたくてぶつかってしまう。


楽しいこと、いいことだけ思い出したい。けれども、低空飛行のまんま落ち着いていたい。こもっていたい。矛盾。けれどもこれで人に会うわけにはいかない。顔を見れば普通になるのだろうか。

おんな

今日はおやすみ。


実家に帰って、今日はよくねた。お友達のところに行きたかったけれど指も安静にしたいしなあと思っていたら時間がどんぶらこと流れて、病院の時間に。


胸が痛くて気になってたら異常はなかった。押すと痛くて気になっていたけれど、成長痛のようなものらしい。


最近からだの不調や違和感が多くて、普通ってどんなんだっけ、みたいなことが多くなってしまった。これまですごく健康だったんだと思う。


あとこれまでメンタルがやられると熱を出したりしていたけれど熱ではなく怪我や身体のトラブルで出るようになった。ちょっとやだなって思う。


これまで沢山死んでしまいたいと思うことがあったけれど今は生きたいと思ってる。やっぱり、大切な人がいるから。今、家族ではないけれどそういう人がいるから。今、わりと近くにいて、自分にとって必要なのはこの人なのだと思うしただの思い上がりなのではと思うがこの人にも私がいないといけないと思うから。それはお友達と私という関係もそうなのだけれど、その人とは普段ずっと一緒にいるからかもしれない。年齢かもしれない。おばあちゃんの病気があるからかもしれない。

やっと、私がいなくなってしまったら世の中にとってマイナスなのだなという意識が強まった。周りの人たちもそうで、私の好きなお友達や家族は尚更だ。



何度も言っているが死にたいと思うことをやめるようにしようと思う。




話は変わるけれど仕事の中で女性にとって、もっと働きやすい職場にしようという改善グループのメンバーに選ばれそうとのことだった。別組織の人が私を指名したらしい。ほんとかあてにはならない情報だけれど。


まぁ、マイノリティの問題や男女の性差問題については得意科目だと思うしずっと考えていたし、ぜひやりたいと思っている。このまま企画が無しにならないといい。



そして情報を今から集めているけれどまず、女性が働きやすい環境とは?というところで。


例えば荷物が重いだとか産休だとか、そういうものもそうなのだけれどそもそもそれは「仕事がしたくて、でも続けられない人」に向けた施策だと思う。

だけどこれまで仕事をしてきて仕事がしたいと言う気持ちを男女による性差で摘まれてしまう女性って多いなと思っていて。


女性だけではなく空気の読めない男の子や力のない子、少し浮いた子、も同じ。

まずやる気を失ってしまう。

自分は職場についででいるんだと思っていた。思っている。いさせてもらってるんだ、と思う。ついでにいさせてもらってる存在だから雑務はしないと…とか、そんな気持ちを持ちながら働いている。別組織の人に「あなたは苦しみながら仕事をしているね。どうして?」と何度か言われたことがある。なんでなんだろうね。


技術系の仕事は就職してから技術を学ばないといけないのにその機会を「女だから」「いけすかないやつだから」と奪われてしまう。

本人の努力次第…そうかもしれないけれど、その努力はもし男性だったら、定型発達していたら、必要なかったかもしれない。


なんていうのかな、そもそもの風土があまりよくない。よくなくて活躍の機会も少ない。それで給料高くない。それで肉体的に辛いことが多い。


私は職場に恵まれ、同期や周りの人、評価制度にもわりと恵まれたと思う。でもそうでなく、うつ病になってしまった同期の女の子もいるし辞めていった人もいる。私も辛い思いを何度かした。理系の道に進まなければどうなってたかと、たまに思ってしまう。それは中学三年生にまで遡るんだけど(笑)


男女関係なく自分の仕事を人に勧めたかったらその道を目指す人にぜひ、と言えるところか?と聞かれたら私はやめとけというかもしれない。そういうのって、なんでなんだろうね。それが少しでも少なくなるように、できればいいな。


上司もこういう企画はすぐなくなるからと言っていたけれどまぁいっかーって気持ちでがんばりたいな。



本当は別組織の人とかと本音でお話がしたい。会社のホームページには志高いコメントいっぱい載ってるけどどうなの?


志低いだけなのかなぁわたしが。



空の上から

不思議な気持ちになる。


携帯を出していても怒られない飛行機は機内モードという文明の発達を象徴しているようだった。

飛行機によっては、Wi-Fiが使えるところもある。そうなってしまうとどこにも逃げ場がないよ、と前にお客さんが笑っていた気がする。

猫に関する本を読んだ。レンタル猫のお話。まだ途中なのだけれどこの本を本屋さんで選んだのはすごく身近にいる人の影響を色濃く受けているのだなと思う。

ねこが好きな彼と、犬が好きなわたし。

ねぇ、猫を好きになったきっかけってなに?とふとした時に聞きたくなって聞かないまんま一年くらい経とうとしている。名前の一部に「ねこ」があるから?それとも、まるちゃんを見つけた日から?

私が犬を好きになったきっかけってなんだろう。もしかしたら私は犬が好きというよりも自分や家族と生活を共にした「さくら」が大好きなだけなのかもしれない。

でもきっと、本物の犬を飼うまえに私がおもちゃやさんで大きな犬のぬいぐるみを買ってもらってチェリーという名前をつけて遊んでいたのは、きっとなにかあったんだろうな。ねこでもうさぎでもなんでもなく、黒のラブラドール(多分)を選んだのはきっと理由があるんだとおもう。

だからきっとさくらじゃないなら、多分犬も猫も、イグアナもヘビでも関係ないのかもしれない。まぁちょっと好きだなぁ可愛いなぁ、みたいな。

そんな風に思う。

例えば人間でもそうで、男だからみんな好きとかいうわけではない。いつも近くにいるその人だから、好き。
女の人も、女の人だからみんな友達というわけではなく、やっぱり友達には友達になるなりの理由があるのかもしれない。理由なき理由というか、まぁ、雰囲気の合致とかそういうものなのかもしれない。

逆に男の人を怖いと思ってしまうことは本当によくあって、やめたい。男だからという理由で怖がってしまう。それをやめればいいのに。でも、だからこそ、怖くない人と会えた時にすごく嬉しい気持ちになる。

話が逸れましたかね。私、本当はねいつも一緒にいる人がすごく好きって話がしたかったんです。

見た目とか中身とか話し方とか、笑い方とか怒り方とかお小言の言い方とか、謝り方とか慰め方とか愛し方とかふざけ方とか、肌の感じとか、鼻の頭の触り心地とか。頬とか。なんかどうしたって気持ち悪くなるけれど、言いたくなる。言わなくてもいいのかな。

今も思ってる、まだ忙しいのかなぁとか。ご飯食べたかなとか、遊びに行ってるのかなとか。考えて、いつか相手を考える気持ちが、ぶつかるというか、同じタイミングで思い合うなんてことがあれば、それは奇跡なのかなとか思ったりしてる。

でもね、インターネットではね、離れた時間は自分のことをするとか、相手にベクトルを向けないのがいい関係って言うんだよ。それに私でもあんまりかんがえているとそれは重たいってやつなんだろうとはわかるから、やめます。


今日は

午前中は人のブログを読みながら寝たり起きたりしていた。
その後に昨日行ったライブの感想書こうとしたのだけれど書ききれず、お部屋を片付けて外へ。
昨日衝動買いしてしまったか可愛い黄色のスカートをはいた。マネキンだと黒いTシャツでもオシャレだったのだけれど私はカットシャツの素材の方がいいらしかった。
靴の修理を出していたから取りに行った。

その後ジムにいき、レッスンで滝のような汗をかいて家へ。その途中100きんでいろいろかった。激落ちくんも買えて、それでマグカップの茶渋がきれいさっぱりなくなった。

さっきアイス食べた。美味しかった。

で、いま資格の勉強しようとしたんだけれどなかなか進まない。こまる。


おしまい。日記というか記録っぽく書いてみた。


おばあちゃんの退院

おばあちゃんが退院した。

 

25日の予定が一日早まってくれた。

 

朝五時に起きておじいちゃんの手伝い・・・農作物の収穫をしようとしたら朝は雨でやめになった。

代わりにというか、洗濯機を回してポテトサラダを作った。

ポテトサラダはおばあちゃんの得意料理というか、おばあちゃんのポテトサラダが、私は大好きで。それで作った。出来栄えはちょっとじゃがいも煮えすぎ・・・ってところです。

 

そしてテレビの同軸コネクタつくりのためにスーパーに行って病院へ。

 

おばあちゃんは薬の説明を受けていた。一日に決められた量について話をしていて、手持ちの袋に麻薬と書いてあって驚いた。だけれどお医者さんとしっかりお話をしていて、乱用することはないだろうからってお話をしていた。

おばあちゃんは立ち上がって歩くことも最初は大変そうにしていて、帰り支度だけで汗だくだくらしい。それでもうれしそうにしていた。

 

病院でおばあちゃんを伝って仲良くなったいっこ下の女の子とまたお話をして、趣味が本当に似ていて驚いた。仲良くなったらキンプリを見ようだの、そんな話をしていた。

帰りの車の中で彼女が難しい病気にかかっていることをおばあちゃんから知らされた。若い人でもなる原因不明の病気らしい。治癒方法も不明で難病として国から指定を受けているのだとか。今日ちらっと、病院を移るときに外に出たらくらっときた話をしていたのとご飯が食べられないというお話を聞いていたらそうなのかもとは思っていたけれど。でもきっと、あの子はよくなるよ、とおばあちゃんは言っていた。私もそう思うし、そうであってほしいと願っている。

 

ここ数日間、命というものがすごく近くにあった。むしろこれまで、どれだけ遠く離れていたのだろうか。

感受性や想像力が、人間として過ごすごとに深まっていくから、いろんなことを考えた。

お花の好きなおばあちゃんが植えた花壇や野菜、きれいな色鮮やかな景色はおばあちゃんがいなくなったら、もうないんだろうか。おばあちゃんの引き出しに入った沢山の毛糸、手芸セット、そういうのも全部全部、なくなるのだろうか。(意味が、だとか存在意義が、だとかいう言葉が私の頭ではぴたりとくる言葉なのだけれどそういう物言いはどうしてもしたくなかった。少し葛藤して、もやりとした表現をするに至った)

 

きれいなおうちはほこりをかぶっていくのだろうか、おばあちゃんはこのおうちを一人できれいにしたりしていたんだろうなあと思う。

誰かが来た時に喜んでもらえるように、子供や孫が来た時にかわらない景色を見て安心してもらえるようにって、まえにおばあちゃんはいってた。

 

いつか、もう少し余裕ができたら毛糸とかガーデニングとか、おばあちゃんの楽しんできたものに触れてみたいなとも思っている。いつになるかわからないけれど。

好きなキャラクターのぬいぐるみとか毛布とか、なんでも作ってくれる魔法の手のような存在にはなれないかもしれないけれど。

 

 

なんだか何を言いたいのかわからなくなってしまった。とりあえずおばあちゃんからのお使いの甘納豆は失敗に終わったのでこれから散歩がてら買いに行ってきます。

北の国


おばあちゃんのお見舞いにいった。

空港でお土産見たりまったりしてたら時間ギリギリになって搭乗口まで走った。

どこまでドタバタなんだろって笑えた。


飛行機でCAさんが凛としていてかっこいいな、と思った。いつか、また言葉にしたい。


そうして、おじいちゃんと合流しておばあちゃんのところにいった。


その前に食べたお寿司屋さんでおばあちゃんの身体に管が通ってるのをさらりと伝えられた。


おばあちゃんは酷いのかな。







病室に入るときにおじいちゃんに先行って、と言われて入った。


6階の奥の部屋の四人部屋の奥のベッド。カーテンの向こうでおばあちゃんは寝ながら何かを読んでいた。



「おばあちゃん?」と声をかけると、おばあちゃんが少し掠れた声で「うれしい」と言った。何度かその言葉を繰り返して泣いた。私も泣いていた。


おばあちゃんが生きていること、命があるということ、言葉を発していること、私を見ていること、全部が嬉しくて、全部が奇跡みたいで、おばあちゃんに対してこんなこと思ったこともなくて、泣いていた。いつかなくなってしまう命に対する不安が吹き飛んだ。


おばあちゃんもきっと、誰かにあって疲れた気持ちが吹き飛ぶような、そんな体験をしたんだろう。そうであってほしい。



それからおばあちゃんはどんどん笑顔になり、おじいちゃんが入ってくるなり写真撮ろうと言ったり向かい側にいる女の子が私と同年代だよ、と明るく話し出した。


思ったよりも笑顔で、どんどんと表情や顔色が明るくなってよかった。おじいちゃんも最初会った時よりも笑顔が増えていった。


おばあちゃんは退院が一日早まって明後日には退院らしい。明日はおばあちゃんの寝るベッドの用意がある。お仏壇にごはんをあげたりと、朝が早そうだ。起きれるかなぁ。




ますから


いつもしたまつげ失敗する。

したまぶたについちゃう。今日もけばけば。


最近嫌なことがあって、幸せな時間を邪魔されたみたいで、すごく悲しい気持ちになっていた。それで多分伝えなくてもいいことまで言って、大切な人の気持ちに影を落としてしまった。

それでも私を認めて、許してくれるその人に私はなにかできているのだろうか。幸せをあげたい。