ホットケーキは生がいちばん

頭ゆるゆるなインターネット

春の訪れ

最近風が生暖かい。

それで、あぁ春が近付いたのだなと感じる。


あとは花粉。鼻がむずむずする。マスクをして生活をしている。

マスクがあるとくしゃみの数も減るのと、マスクの下でどんな顔しててもいいのでいい。

大抵小顔体操してる。


久しぶりに実家に帰った。

よく実家の近くまでは地元の友達に会いに行ったりもするので街並みは懐かしくはなかった。

でも、昔のバイト先のデパートに立ち寄ったら結構中は変わっててびっくり。服を買おうとしてやめた。あとバイト先も立ち寄ろうとしてやめた。


友達の趣味つながりの友達にDJとかVJのやりかたを教えてもらった。でも向いてない気がする。


難しい。



目の前の男性がグレープフルーツジュースをのんでむせていた。


世知辛い





最近趣味だの何のつながりを持たない人と会話の内容に困ると恋愛の話になる。

だれがどうの、ああのと人の話を聞いている分にはへえへえほーへいへいほーと与作になって終わるのだけれど自分の話になると困る。


相手はぶっきらぼうに見えて優しい人で私は人当たりよく見えて内面がちょっとアレなので、お互い二重人格だと面白いねと言われた。そうなのかもしれない。


そうなのかもしれない。



今、電車に乗り込んだセレブが目にすごい瓶に入った何かを点眼していたのだけれど、あれはアロマオイルなのだろうか?

きっといい香りが目からするんだろう。



ぱちぱち。



堂々巡り

よく自分が何者なのだかわからなくなる。


会話をしていても、なにをしていても、相手や関係者からみた自分というものを損なわないようにしながら、できるだけ相手の普通や許容範囲に沿った形で人格形成をしている。もしくは許容範囲外の発言をしてわざと会話を終わらせてしまう。会話が苦痛で仕方がない。

人格形成というか言動を変えている。自分らしくあれと言う人間やいいこぶるなという人間にはそれなりの悪態や過激な言葉づかいをもってそれなりにやり過ごしてしまう癖がついた。


と考えている自分も偽物なのかもしれない。


本当は悪い人間なのかもしれない。だけれど、人の事はなるべく悪く言いたくない。でも、言わないとつまらない奴と排除されるのではないかという妄信が消えない。


それこそいいこぶってるのかもしれない。でも何が悪いことをするというのはなにかしらのリスクがあるし面倒なのである。例えば悪口を言えばそれが漏れるリスクもあるし言った相手に対してほかにばらまかないかのマネジメントを常にしないといけなくなる。秘密もそう。


それなのに悪いことを話したりやったりいいこぶってみたり自分はなんなのだろう。

私は誰なんだろう。



そうしてみたって器用でないからうまくやれず、結局人に馬鹿にされている。表向きでは優しい人間も酒が入るだの、様々な側面で顔を出す仕草から伝わる。悲しくて、怖い。そして尊厳を守られる要素のない自分はなんなのだろうとおもう。顔が醜いからか、体型が醜いからか、性格なのか、声なのか、話し方なのか、知性にかけるからか、いじめられていたからか、馴染めないからなのか、わからない。消えてしまいたいとその瞬間に思う。消えてしまいたい。


もちろん自分に対して善意を向けてくれる人もいる。でもうまくそこだけに目を向けられない。いつだって同じような心無い言葉に傷つけられている。


もっと自分のことじゃなくて外に目を向けたい。

自分はわたしは周りから、なんて子供みたいなことはもう言ってられない。


でも、自分の肯定できなさや受け入れられなさ、馬鹿にされているような雰囲気はずっと変わらない。堂々巡り。




私は誰なんだろう。誰になればいいんだろう。


裁縫セット

昨日酔っ払ってしまって、いつの間にか朝になっていた。

朝まで繋いでいた電話は私の平日6時にかけているアラームによって切れてしまう。その音が聴こえたけれども、なにもできずに目を閉じる。


内臓が、熱い。


それなりの時間になって歯医者さんに向かう。下の歯の歯石を取ってもらった。来週は上の歯。


そのあと帰ってきて部屋の掃除をした。さすがに荒れている。掃除といっても掃除機をかけるところにまでは至らず、クローゼットなどの整理と断捨離を実施した。


そして、…あろうことか、こたつで寝ていた!!!!


なんていうことでしょう。





何ということでしょう!!!!



さんざん寝たのに、また寝た!!!




あぁ…せっかくのおやすみが。ジムにも行きたかったのに。





最近は、よく涙が出る。よくわからない理由で出る。

少しの傷ですぐに破ける私の心は針でちくりと刺されただけでも破裂してしまうのだろうか。

そして、泣き真似をしてその場を凌ごうとして本気になって泣いてしまう時もある。子供か。


涙の理由をよく聞かれる。なにを思っているのか言葉にしないと、とも思う。

ただ、それがわからないことが多い。なぜか悲しい、と言うよりも自分がいなくなってしまえばいいのにという感情で頭がいっぱいになってしまう。

そして、そんなことに捕まる自分はその人にとって疎ましいのだと、思うと苦しい。


その時に、心を縫ってもらえたことがあって。それが嬉しかった。

といってもこれは比喩表現でなく、本当に胸元で縫う仕草をするというものなのだけれど。

それが嬉しかった。


破けたものは、それで用無しなのではなく、また治せばいいのだ。

つぎはぎでもいい味がでればいいんだ。


やぶけなければ、壊れなければ、見えない形もあるんだ。



嬉しかった。



ついでにいうと、ちくちくと胸元でやるあの動作が、可愛かった。少し癒された。


最近、ブログのタイトルを打つと一度打ち直すと訂正ができなくなってしまっている。なぜ…。

昨日、記事を書いてから情緒的には落ち着いていて。もうこの年齢なのだしきちんと乗り越えていこう、という風になりました。いつまでも支援をもらって生きるわけにはいかない。


昨日、久しぶりにびっくりドンキーのハンバーグを食べました。

昔、実家の近所にあったのでよく家族で食べに行ったのを思い出した。なにかにつけて、びっくりドンキーに行きたがっていたなぁ。

やっぱり、美味しかったです。一緒にいて、楽しい人とびっくりドンキーにいくのは幸せ。


どんどんどん、どんきー



どんき、ほーてっ



また違いますね、これは。

蜘蛛の劔

誰か、他人に意地の悪いことをしたことの無い人間はいるのだろうか。

姑息なことをせず、隣人を愛した人はいるのだろうか。

少なくとも、私は出来ませんでした。
そのツケが、今を創っているのかもしれない。




この前、食事会のチケットが余ってしまって中学のときの友達やその先まで一緒だった友人を呼んだ。ただ、一人だけ足りなくて、いわゆる「当時は友達グループが別だった」中学の友人を呼んだ。

私はタイミング的に、それぞれのグループに声をかけてしまったのである。

どちらも、私にとっては大切な友人だった。確かにそう…あまり関わりはないけれど、食事会一時間くらいだし楽しく話ができればと正直軽率にメンバーを決めた。

そして、「○○さんも参加になったよ」と声をかけたら、一人の様子が変わった。私はいかない、と言い出したのである。

私は、思い出した。昔、その子はその人に嫌がらせをされていた。
その人は、いろんな人に嫌がらせをしていた。靴を隠したり、給食着を隠したり。その子は特にターゲットにされていたように思う。

私の学校は、なにか気に入らないことがあるとその人のものを隠したり、仲間はずれにしたりするようなものが流行っていた。私も上靴がなくなったことがある。だから多分みんな、本当にスクールカースト上位の人間でなければなにかが無くなっていた。無視もあって、された時は辛かった。それをきっかけに不登校になってしまう人もいた。

そして、自分もそれを止めず、彼女を守ることも出来なかったことを思い出した。
それしか思い出せないけれど、本当はもっと酷いことをしたのではないか?
本当に正直にいうと近所に住んでて、帰り道にイタズラで犬のフンを踏ませるなんて最低なことをしていた…もう自分も十分に酷いことしてる。

私は、幼稚園の頃に村八分のような状態になったことがある。だから、多分幼稚な私は、自分がターゲットにならないようにということばかり考えていた。本当に最低だ。

こうなってやっと、当時のことを思い出した。私が知らないだけでもっと、酷いことをされていたのかもしれない。されていなかったのかもしれない。だけれども、とにかく、最悪なブッキングをしてしまった。


私だったら、どれだけ苦しいだろう。
なんて酷いことをしたんだろう。


その子に謝りの電話をいれたら「今の彼女がどんな人だかわからないから…行きたいけど、行きたいけど複雑な気持ち」と言われた。謝ったら、「○○は知らなかったでしょ」と言われた…私は、当事者なんだよ。知らないわけがない、なのに軽率に忘れていた。本当に、最低だ。

確かに、彼女は変わった。人を好きになって、あたたかみのある人になった。だけれど、その理屈は意地悪をされた人には関係がないことは未だに私を20年も前に村八分にした人間を許せない私が、知ってる。だから苦しかった。謝るしかなかった。
その時はなんとか終わったけれど、自分を憎んでも憎みきれない。そして、こんな場所に書いて誰かに救われたい自分も、浅ましくてひどく憎たらしい。消えてしまえばいい、本当に、消えてしまいたい。そんな酷いことをしながら、平然と生きて、さっきだってなにかに心を弾ませたりして、自分が恐ろしい。





私は、乗り越えられない。こんな卑劣なことをしておいて、平然と生きられない。
酷いことをしていたのに、忘れていたなんて、どんな人間性をしているんだろう。
そんな考えに包まれると、どうしようもなくなる。許されたい、だけれどもう許されることもできない、心のどこかで、誰かに、憎まれている。自分は憎まれている。消えてしまいたい。自分を愛してくれる人がいる。そのことすらも、申し訳立たない。これを知らない人に、私はそんなことしたことありませんといった顔で、平然ともう接することができない。怖い。とにかく自分が怖い。

もしも…生きるのならば、これは、どのように、受け入れていけばいいのだろう。意味のあることにするには、どうすればいいのだろう。きっと、命をなくしたりはできない。だから、生きるには…どうすればいいのだろう。