夜と霧
という本をAmazonでぽちっとした。
インターネットの海を泳いでいたら偶然見つけた本で、なんとなく気になったから買ってみたという次第です。
精神学者が自らの収容所経験をもとに書いた本で、紹介文にある
〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
では、この人間とはなにものか。
人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉
という言葉が妙に気になって購入に至った。
そういえばずっと前買った本は郵便屋さんと予定の折り合いがつかなくて受け取れないまんま二ヶ月くらい経った。どうなったのだろう。まぁいいか。よくないか。
今、仕事中の待機時間になっている。
出先だから何も出来ない。普段なら資料やらノートやらあるから読み返したりするのだけれど、今回最低限の荷物で出向いてしまったからとりあえず書いている。
最近よくしてもらっている人の話をします。
その人とどうして仲良くなったのか、それはもういろんな偶然が重なったとしか言えない。
もともとお互い自分の心の奥底の話を口から発するタイプではなかったように思う。(それに気付いたのも文字を媒体としたやりとりやその人の残した言葉から推測した結果、である。)
口から発するタイプでも誰かに直接告げるタイプでもなかった。でもなぜそれに気付いたのか。本当に、ただの偶然。でもその偶然がなければこんなに親しくはなれなかったのかもしれない。
その人が教えてくれた昔のことやコンプレックス、家族のこと。今のその人と日常で話してるだけなら気づけないことが沢山あった。
子供の頃、優しくていいこだったと聞いた。求められたものに応えられてしまう人の葛藤は、応えられない私には程遠いけれど周囲の望むように生きたいと思って行動するところは自分と少し似ていた。葛藤するところも似ていた。だからかその人は私を放っておけないと話す。私はその人にシンパシーを感じている。
実際に距離が近付くことで一番印象が変わった人なのかもしれない。最初はちょっと冷徹な人なのかもしれないと思っていた(笑)でも違った。あたたかかった。私は自分のことを許せないことが多い。その分だけ、それ以上に私を許してくれるのはその人なのだと思う。
あとはなんていうか、人前だとつんけんしている(笑)知り合いの前だとそっけないくらいなのに、知り合いが誰もいないとやさしい。だからか最初仲が悪いのだと思われていたみたい。でもそんなことない。ぜんぜんぜん。ぜんぜんぜんせ。
女の子はツンデレが好きとは言うものの、まぁ、たしかに、2人の時に格別優しいのはなんだか嬉しいものがある。絶対にほだされないぞと意思を固めつつも、そう思う。
それと、その人は私が今までしたことのない見たことない世界を見せてくれる。本人にそのつもりはないのだろうけれど私には知らないことだらけだった。
お酒に酔っ払って路上で嘔吐したその人の介抱とか、本の話とか、漫画の話とかアニメの話とか、行ったことない場所に行くだとか、持ったことのない感情を抱くだとか。新鮮で、楽しい。
酔っ払いの介抱をしたことがないし、ましてや嘔吐する人を全然みたことが無かったから、夜の街の光に溺れながらその人と歩いた記憶が鮮明に残っている。鮮やか。
これ、人に話すとおかしいって言われるんだけれど私にとって本当に大切な想い出なんですよ。
そんな感じで、おしまい。
ちなみに、その人のね、歌が好きです。感情がそのまんま音の抑揚に現れるから、好き。嬉しい時は音も弾んでる、落ち着いてる時は安定してる。笑いながら歌ってる時の表情も好き。なんだか、幸せそうだから。可愛いなって思う。
籠
こもっている。
眠気とぼーっとした頭でこもっている。ぼやぼやとしている。目も半開き。
妄想がやまない。妄想じゃないかもしれない。疎ましがられている気がする。でも別にだから何をされるというわけではない。と思うと別に何でも良くなる。
理解力も足りなくて人を困らせているように思う。改善策を見つけて前に進む元気がない。
疲れた。疲れるとすぐに死ぬことに頭がいってしまう。べつに死にたいわけではなく、そういう癖がある。
趣味もそれなりにあるけど別に私の命をつなぎ止めるものってわけではないのかもしれない。それが少し寂しい。時々悲しくなる。ちょっと思い違えば簡単に命を落とせるんだと思うと悲しい。踏みとどまれるような要素が沢山あるのに思い出すことが出来なくなってしまうんだろう。
なにが悲しいのかもわからないのに涙がでている
なにに苦しんでいるかもわからないのに立ち上がることができない
そういう癖が、自分が好きになれない
もう立ち上がらなくては
書くこと
いい子わるい子ふつうの子
最近学生時代を思い出すことが多い。
そんな作品をよく目にするからでしょうか。
私はこれまで自分の過去を特別視するようなこともなかったし、「普通とはちがってしまっている」感覚が強くあるから青春だとか思い出だとかには縁がないと思ってたんだけれど、その作品の中で描かれていたものが自分の持ち物とよく似ていて、今思えば青春だったのかもしれないな、と思いました。
それに付随して一緒にいる人に昔のことをよく話している気がする。おばあちゃんみたいだけど、面白い人が多いから。
私の周りは変な人ばかりだと思う。それは私も変だからなのと、あと私がその変さに拍車をかけるようなことを一緒にしているからだったのかもしれない。
今思えば、面白いことばかりだった。素行もあんまりよくなかったのかも?私としては授業は寝ないで聞くしいい子ちゃんだと思ってたのに、授業さぼってコンサート見に行ったりバイト先でむちゃくちゃなことしたりっていうのは悪い子ちゃんだったのかもしれない。
友達とスーパーうろうろしたり、体育の時間にゲームしたり。めちゃくちゃだった。一回友達と発表のスライド作った時にネタを仕込みすぎて発表するときに2人で笑っちゃって発表もクソもなかった時もあった。
2人で先生の部屋に遊びに行くふりしてテストの出題傾向を聞き出そうとしたりもした。
自分ひとりの力では私はあの学校を卒業できなかったと思う(笑)
でも友達も、私がいなきゃ卒業できなかったと思う(笑)勝手に(笑)
あとは今も、いい子ちゃんなイメージをよく持たれるけど周りの人の方がよっぽど真面目に見える。適当じゃなくて嘘もつかなくて、誠実なように思える。私が変な人間だからなのかな。まぁ、ウソは自分にしか見えないからなのかもしれない。
以前、よく騙されたり驚かされたりいろんな風にいじられていた。そのせいか、いろんなウソを目にしたように思う。ウソに敏感になってしまったのかもしれない。それが少しさみしい。
そろそろお昼も終わります。だから、終わります。
埋まる
舞台を観た。
応援を題材としたその舞台は、強く私の胸を打った。何故だろうか。何故か、涙が溢れてきた。
楽しかった、感動した。嬉しかった。大好きな劇場があって、そこでのびのびと歌い踊る人達。いい演技を見ることが出来た。すごくすごく幸せだった。心が洗われた。
本当は不安で仕方がなかった。最近心を失いやすい。喜びを喜びだと感じられなくなるようなことが多い。目の前に娯楽を提示されても無になってしまう。ふとしたときに、無くなる。だから怖かった。自分の本当に好きなものを目の前に心を無くしてしまったらどうしようって、怖かった。今日の朝も楽しみな気持ちと一緒にいろいろなことを考えてしまって自分が自分でなくなるみたいで嫌だった。なにをしても胸が締め付けられる心地で。
でもちゃんと、感動したり笑ったり、元気を貰えた自分がいた。ちゃんと生きようと思えた。よかった。本当によかった。気が付けば、1年ぶりくらいに観た舞台だった。あれだけ大好きだった舞台をみることもしばらくおやすみしていた。
舞台ってライブとはちょっと違う魅力がある。メッセージがあって、キャラクターがあって、そのキャラクターを演じる役者がいて、スタッフがいて、それは生身のオリジナルの人格を持った人間が魅せるライブとはまた違う魅力がある。非現実、なんだよね。
ずっと部活もやってて演劇が好きだから、でもそれを忘れていたからまた自分の手のひらの中にそういう気持ちも詰め込むことができてよかった。
何に追われていたのだろう。多分自分の心に追われていた。
いつだって人間の邪魔をするのは自分の心なのかもしれない。私は仮想敵に追い詰められている。被害妄想が強いから、勝手に背負い込んだ荷物を持ちきれなくて辛かった。
ただ淡々と働けばいいのに妙に息苦しさを感じる。期待をされているのか押し付けられているのかわからない役割を全うできる自信がない。全責任が君にあるみたいなことも言われる。冗談なんだろうけどでも私は、やりたい。ちゃんと。肩に力を入れすぎていてはうまくいかないけど今は元気がないから力が抜けない。余裕がない。いろんな締切が近付いていて追われている。余裕のない自分が嫌になる。みんな頑張っているのに同じ状況なのになぜ自分だけうまくやれないのか。
まわりで悪口みたいなのを聞かされて嫌になる。社内で当たり前に飛び交う使えないという言葉が私は一番嫌いだ。勝手に心が傷んでいく。
だから、怖かった。今日好きな舞台をみることが怖かった。ここのところなにをしてもふとした時に感情が消えてしまう。心が鬱ぐ憂鬱になる。好きな音楽を聞いても全然、楽しくない。なにも出てこない。それが怖かった。自分はどうなってしまうのだろう。
でも、ちゃんと、楽しかった。喜ぶことができた。偶然にも応援を題材としたその舞台で大好きな人達に何度も何度も何度も、応援された。
まだ君は君の強さを知らない
君の力は僕の希望
ひとりじゃない、そばにいるから
それを忘れないで
そんな歌が劇中に歌われていた。全身全霊、全力投球という言葉も沢山散りばめられていて。まだまだ自分は全身全霊でもなければ全力投球でもないな、と思った。
あと、パンフレットの最後にメンバーからの応援メッセージがあって。普段なら見逃すか筆跡の確認程度なのに。すごく自分の心に響いた。私は無意識に誰かの支えを欲していたのかもしれない。一人じゃないって実感を求めてる。最近はいつも一人じゃないことを教えてくれる人がいる。それなのにまた、求めてる。欲張りなのかな。
人は応援されることで勇気が出たり力を出すことが出来る。
応援することで救われることもある。
私は誰かのことを最近応援しただろうか。
私も、誰かを支えたい。
変身
変身、という本がある。
それに興味を持ちながら長いこと読んでいない。
そういうものが沢山ある。興味を持ちながら、やっていないこと。
ただ、不思議なことにそれらを時間が出来たからといって手を出してみることは少ないように思う。
その時にはまた一番やりたいことがあるのかもしれない。不思議とそういう二番手みたいなものは永遠に二番手で、忘れていくのかもしれない。
でも、なんだかそれは残念なことのように思うから、早いうちに読みます。
そういえば、最近は変装をよくします。
こんなことしたってバレる時はバレる。それはそうなんだけどなんとなく楽しくもあるから続けている。あとは自分の不安を取り払うため。
帽子、マスク、伊達メガネ。人の家に泊まる時に急いで買ったそれは、今では私の相棒のような存在。
帽子もメガネも頭がでかいからあんまり好きじゃなかったし伊達メガネに関してはコンタクトしてるのに何故メガネをしないといけないんだっていうので嫌だったんだけど、最近は自分ではない誰かになった気分で落ち着く。スパイみたいでちょっと楽しい。
化粧とか服の雰囲気とかもちょっと変えてみたりしてて。それも楽しい。自分のまた知らない一面に出会えた気分。次はどんな人になろうか周りの人を見渡すのも楽しい。
自分のことを知らない場所に行く事、自分の知らない自分を知る事は寂しいけれどいいものですね。
自分を見失ったら、また自分を形成すればいいんだと思わせてもらえる。
とか言ってあんまり効果ないのかな?今度、街中で私のことを探してみてください。
ちゃんちゃん。