ホットケーキは生がいちばん

頭ゆるゆるなインターネット

愛のかけら、君のかたまり


昨日、同僚に恋人の一番好きなところはなに?と聞かれた。


一番好きなところと言うと難しい。それは出てこないからではなく、一点に絞るのは難しく、そしてその一点だけが相手を構成するものじゃないからだ。


それに、自分に対して何か施してくれるような部分で好きなところもある。優しくしてくれる、自分らしさを認めてくれる、どんな自分でもいいと伝えてくれる、力が強いところ、壊れた家具をすぐに直してしまうところ。私の作ったごはんを食べてくれるところ。私の趣味をほっておいてくれるところ、一緒になにかしてくれるところ、沢山のあたたかい気持ちをくれるところ。

こちらに何かを与えさせてくれる部分で好きなところもある。洗い物が苦手なところとか、酔うと昔すぐに吐いてしまったようなところ、甘えてくれるところ、裁縫や入ったトゲなど、細かいところで助けを求めてくれるところ。沢山の気持ちを受け止めてくれるところ。

自分という人間なんて存在しないような、関与しないようなところで好きなところもある。なんだかんだ友達思いなところや家族思いなところ、愛猫家なところ、彼の思い出、過去、寝てるとしてる歯ぎしり、歌が苦手なところ、足が速いところ、自分に自信があんまりないところ、女の子にあんまり興味がないところ(ほんとのところどうなんだろうな)筆跡、寝息、表情、性格、身長や身体の形。彼の知ってる物語、場所、お祭りや景色…。



その中で一番を決めるなんて難しい。

でも全部なんて言うと薄っぺらいのだろうか。

だからいつも、一緒にいて楽しいところと言う。変な空気にならないように。


でも多分そうじゃなくて。多分本当は一緒にいて本当に幸せで、本当に幸せにしたいようなところだと思う。



なんていうか、ファンであるのかもしれない。その人が生きているだけで、幸せ。その人が眠ったり起きたり、ごはんを食べたり休んだり仕事をしたり、そういう…それが、幸せ。だからその人を守りたいしもっと幸せにしたい。


重たいんだろうか。









ちょっと昨日反省していて。昨日研修がたまたま好きなアイドルと同じグループの子と似ている後輩と一緒で、しかも同期の女の子の恋路に関する重要人物だったから飲みに行って情報を聞き出そうとしてしまった。そしてその同期の思いびとや同期も現れかなり遅い時間までお酒を飲んでいた。

結局はぐらかされて終わったし…でもカラオケに行こうという話になった。それだけだ。

そろそろ彼女個人で頑張ってほしいところだが私も腐的な観点からその後輩と同期の女の子が好きな先輩が隣にいていろいろと喋ってるのは見ていたく…本当に後ろめたかった。私は自分の欲望のために先に記したその人をほったらかしにしたのか…と。


でもすっごい萌えた。スーツに軟骨ピアス開いたワンコ系小生意気な後輩と背の小さい優しく元気系な先輩、そして間にいるオネエ系の同期…そして現れた背のちいさく瞳がつぶらな更に下の後輩…。




最高!!!!かよおおおあああた!あ?!?!あ、あ、か?!!!!!!!?!?!?




でも浮気だとか思われるんだろうか。

浮気じゃないもん…。


浮気よりもっとバカだけど、創作意欲がわくんだもん…。


でも、その好きな人でも妄想してるもん!ちゃんとしてるもん、!!!!!


え、まさかその軟骨ピアス後輩×私の大切な…






うっ、悲しい…。やっぱり、それはやだ。男同士なら浮気は許すって言ってたけど、ちょっと悲しいかもしれない。


でもちょっと、萌えるかもしれない。


でも、うーん。




悩ましいのう。



未来

 

小さいころ、医者になろうと思っていた。

おばあちゃんに将来おばあちゃんの身体を治してねと言われていたから。

 

何もしなくてもそれなりに成績の良かった自分は将来医者になれると思っていた。

何かしないと成績が悪くなってしまいだす頃にその未来予想図は破って放り投げた。

 

お菓子屋さんになりたかったりお花屋さんになりたかったりパン屋さんになりたかったりした。声優さんや漫画家さんになりたい時もあった。

また夢を放り投げたこともあったけれどアルバイトという形で叶えた夢もあった。

アルバイトで十分やりきったなと思うものもあったし自営業の閉塞感に耐えられなくなったところもあった。

 

小学生の頃から私はずっと大人になりたくて、なんの職業につきたいとかどんなことをしてお金を稼ぎたいとか世間に貢献したいとか全く考えていなかった。早く大人になりたかった。周りの大人に憧れていた。自分だけの生活にも憧れていた。

趣味もあったから自分で好きに使えるお金も沢山ほしかった。

 

 

実際社会に出て、大人になってみた。

自分が小さいころに想像したどの職業でもなかった。今でこそ生き抜いているけれど何度か後悔した時もあった。その後悔は高専って特殊な学校に文系が得意なのに入った時に遡ることもあった。

 

でもそれなりに、なってきたと思う。

 

 

なんとかやってはきている。でも少し想像とは違う部分もある。

職場も学校もそうだけれど思い通りに行かないことも多いし自分はただの人手で駒であるんだなとも思う。それはいいけれどそういう扱いを受けている人間の中で精神を病んでしまう人も多い。周りの人で、そういう人が多い。

 

みんなそうだったんだろうか。精神を病むだ病まないだというところで戦っているんだろうか。

 

自分の人生ありきの仕事じゃないのか。二度くらい、そういうことを言われたことがあるけれど。

 

一度目は研修先の部署で仕事が終わらず残業をしている自分に派遣の女性が「若い子がこんなつまんないビルにいちゃだめだよ、遊びにでなさい」と帰らせてくれた。

二度目はこの前、もうすぐ異動する先輩に同じようなことを言われた。自分の人生あっての仕事なんだから、力を抜きつつやらないと。全力で走り続けられる人は少ないんだから、って。

 

そして、いま。そして、未来。自分はどうなっていくんだろう。

もうすぐ異動の話が出てくるのだろうけど今周りから言われている場所、考えられる部署では自分はどうなってしまうかわからない。

都合のいいように食いつぶされるような気がしている。心や身体を病んでしまうんじゃないか。そうならないようにしたい。

 

今だってそうで、理不尽だと思うことが沢山ある。本来業務に加えてデスク業務を多く振られるのだけれど、これまでは本来業務でできない分を・・・って思っていたけれど自分はそこまでできないのか?というくらい重さが増している。

わからないながらにひとつひとつこなしているものをマニュアルにしたりわかりやすくして共有するのもまた時間がかかる。でもそういった業務は本来業務ではないから時間内にするものではないらしい。ならこのデスク業務を目の前にいる人間もやればいいのにな、と思う。全員が、脳器官をもった人間がやれば私も本来の業務をこなすことができる。

そもそもできないというのは当たり前じゃないか?ほかの人間に比べて対外的な研修も出ているし別の部署も業務もしていたら本来の業務に携わる時間も少なくなっていくに決まっているんじゃないのか。それを引き合いに出してほかの人間がすごいというのは理不尽ではないのか。データの抽出のしかた次第じゃないのか。・・・なんて、愚痴を吐きたい時もあるけれどそれだけ握っているマッチの本数が多くて最近は楽しい気分になるときがある。いつでもあらゆる方法で職場を炎上させられるというのはなかなかだ。しないけれど。

 

一時期は異動先が最悪だったら会社を辞めてやると思っていたけれど多分これだけ年度が経っていればそれもなーって。

 

未来って、見えないものですね。

どんな形でも生存はしていたいです。

題名のない日記

今日はブログを書こうとなぜか心に決めていて、髪を染めている間にいい書き出しも思い付いた。それなのに目的もなく歩いているうちにその一節を忘れてしまった。もう思い出すことはないのだろう。


この場所に書く言葉は見せる範囲が狭すぎてある種の私信のようになってしまうのではと懸念してしまう時がある。大衆を気にせずありのままでいられる事と大衆でないが故に読み手の顔を露骨に思い浮かべてしまうことは紙一重のように思う。


秋になった。秋といえば紅葉や枯れ葉を想像するけれどコンクリート建造物に囲まれた場所では実感もない。目を閉じてはるか遠くの景色に思いを馳せる。


…話したいことが出てこない。と言うよりなぜか言葉にする気がわかない。少し休んでからまた追記すると思います。


勝者は敗者をいのままに〜できrrrr


ふと頭の中に氷のエンペラーのニコニコで替え歌されてるやつを思い出して聴きたくてしょうもなくなって聴いている。


テニミュは一時期はまってて、推してる学校は都大会でとっくに敗退してしまったから見なくなったんだけど今見返しても楽しい。あと今有名になった俳優さんとかも普通にでててすごい。さすが若手俳優の登竜門。斎藤工さんとかね。忍足の再現度が高くて好きでした。


うほほーい。そんな気分。

晴れ

夏休みをもらった。おばあちゃんに会いに行った。


多分、このブログにも書いたかもしれないけれど去年も会いに行った。去年とは全然状況が違うけれど。おばあちゃんは今年の5月にガンであることがわかった。


病気とは不思議なものでそれにかかると急に命の砂時計のようなものを胸に埋め込まれたみたいになる。


今も刻一刻と砂は落ちている。


もう来年雪が溶けた頃には、会えないのかもしれない。


会いたいと強く願ってはいるもののふとこれが最後なのかもと思うと胸がしめつけられる。



祖父母が住むのはお年寄りだらけの田舎なのだけれどそこから都会にいくとそのエネルギー量に驚く。最初は辟易する。


みんなが生命力に溢れ、明日が来ることを信じて生きている。そしてみんなが明日も生きている。


そんな活気に、自分は置いてかれた気分になる。最初は。そしてだんだんと自分を慣らしていく。











じめっぽいことばかり言っているけれどそれ以外のところはすごく楽しい。同居人みたいな人がいて、その人とは私が旅行にくるまでは毎日一緒にいた。

一緒にいると、優しい気持ちになる。ほっとする。心が大きくなる。


寝顔や寝息を立ててる様子がかわいかったり、ごはんを食べている様子とか眠そうにしている姿とかたまにはしゃぐ姿とかも見ていると幸せな気持ちになる。笑顔もすき。

上機嫌になると声がぽんと弾む。落ち込んでいると声が小さく小さくなる。


食事は私が手を怪我してから外で食べてばかりなのに嫌がらずにいてくれる。あと、ファミレスとか、そういうお互いの家族で行っていた場所によく行ってくれて嬉しい気持ちになる。家族に帰ってきている感じ。


それに良いと思うことは嬉しいと伝えられるし嫌なこともすぐに言える。言ってくれる。だからやめられるしやめてもらえる。居心地がいいなと思うし私ももっとなにかしてあげたいとも思う。ただ性根が暴君なので難しいのだろうか。私は今まで自分が心優しい人間だと思っていたけれど幼少期は近所で会った知らない子供のおもちゃを奪おうとするなど暴君にも程があったらしい。

転園した幼稚園に馴染めず閉じこもった性格になっていくのだが、それはまた別の話で。


嘔吐

おとといにめちゃくちゃ吐いた。



会社の飲み会があり、1度休憩したくなって更衣室に戻ったところ(もしくはトイレに行ったあと更衣室に行ったのか?不明)


トイレでうわあーなんだか具合が悪いなと思いしゃがみこんで顔を便器に向けた。


私は幼少期に畳の上で嘔吐したトラウマでか嘔吐をすることができない。だからいつも真似事をして気持ちを落ち着かせる。


そのはずが出てきた。しかもものすごく勢い。

めちゃくちゃに吐いたあとまた噴水のようにでてきてこれがマーライオンか!!と思った。

コンタクトを酔った勢いではずしていたから視界ぼやぼやでよくわからなかったけど嘔吐物は去年後輩が某駅でげろげろ吐いてたそれに似ていた。そりゃそうか。


それから翌日は喉のあたりがいがいがしてて嫌だった。

そして今日、嘔吐したのは嘘だったの?と言うくらい元気。


夢なのだろうか。

昔のブログを見ていたらおばあちゃんに会った時のことが書いてあった。ガンのこと、もう多分…ということを知らないうちの私の言葉だった。涙がでてしまった。


私は変わらないものが安心するから人間付き合いが苦手なのだと思う。人付き合いでは時間とともに風化する関係もあるしそこに比較も伴う。一番の友達は一年たっても一番なのか?答えは時と場合によりノーのように思う。それをなんとなく肌で感じてしまったときに、すごく悲しい。そして人間はいつか死ぬ。


変わらない友情、変わらない愛情、変わらない言葉、変わらない性格、変わらない命、



私は変わりたいと思う一方で変わるなにかを恐れているのだろう。

変わらないことの方がおかしいのに、最初の価値観で凝り固まっている。