ねむねむねむねむ
えみねむねむねむ
ねむぴっぴ〜!!!!!
おしまい。
堂々巡り
よく自分が何者なのだかわからなくなる。
会話をしていても、なにをしていても、相手や関係者からみた自分というものを損なわないようにしながら、できるだけ相手の普通や許容範囲に沿った形で人格形成をしている。もしくは許容範囲外の発言をしてわざと会話を終わらせてしまう。会話が苦痛で仕方がない。
人格形成というか言動を変えている。自分らしくあれと言う人間やいいこぶるなという人間にはそれなりの悪態や過激な言葉づかいをもってそれなりにやり過ごしてしまう癖がついた。
と考えている自分も偽物なのかもしれない。
本当は悪い人間なのかもしれない。だけれど、人の事はなるべく悪く言いたくない。でも、言わないとつまらない奴と排除されるのではないかという妄信が消えない。
それこそいいこぶってるのかもしれない。でも何が悪いことをするというのはなにかしらのリスクがあるし面倒なのである。例えば悪口を言えばそれが漏れるリスクもあるし言った相手に対してほかにばらまかないかのマネジメントを常にしないといけなくなる。秘密もそう。
それなのに悪いことを話したりやったりいいこぶってみたり自分はなんなのだろう。
私は誰なんだろう。
そうしてみたって器用でないからうまくやれず、結局人に馬鹿にされている。表向きでは優しい人間も酒が入るだの、様々な側面で顔を出す仕草から伝わる。悲しくて、怖い。そして尊厳を守られる要素のない自分はなんなのだろうとおもう。顔が醜いからか、体型が醜いからか、性格なのか、声なのか、話し方なのか、知性にかけるからか、いじめられていたからか、馴染めないからなのか、わからない。消えてしまいたいとその瞬間に思う。消えてしまいたい。
もちろん自分に対して善意を向けてくれる人もいる。でもうまくそこだけに目を向けられない。いつだって同じような心無い言葉に傷つけられている。
もっと自分のことじゃなくて外に目を向けたい。
自分はわたしは周りから、なんて子供みたいなことはもう言ってられない。
でも、自分の肯定できなさや受け入れられなさ、馬鹿にされているような雰囲気はずっと変わらない。堂々巡り。
私は誰なんだろう。誰になればいいんだろう。
裁縫セット
昨日酔っ払ってしまって、いつの間にか朝になっていた。
朝まで繋いでいた電話は私の平日6時にかけているアラームによって切れてしまう。その音が聴こえたけれども、なにもできずに目を閉じる。
内臓が、熱い。
それなりの時間になって歯医者さんに向かう。下の歯の歯石を取ってもらった。来週は上の歯。
そのあと帰ってきて部屋の掃除をした。さすがに荒れている。掃除といっても掃除機をかけるところにまでは至らず、クローゼットなどの整理と断捨離を実施した。
そして、…あろうことか、こたつで寝ていた!!!!
なんていうことでしょう。
何ということでしょう!!!!
さんざん寝たのに、また寝た!!!
あぁ…せっかくのおやすみが。ジムにも行きたかったのに。
最近は、よく涙が出る。よくわからない理由で出る。
少しの傷ですぐに破ける私の心は針でちくりと刺されただけでも破裂してしまうのだろうか。
そして、泣き真似をしてその場を凌ごうとして本気になって泣いてしまう時もある。子供か。
涙の理由をよく聞かれる。なにを思っているのか言葉にしないと、とも思う。
ただ、それがわからないことが多い。なぜか悲しい、と言うよりも自分がいなくなってしまえばいいのにという感情で頭がいっぱいになってしまう。
そして、そんなことに捕まる自分はその人にとって疎ましいのだと、思うと苦しい。
その時に、心を縫ってもらえたことがあって。それが嬉しかった。
といってもこれは比喩表現でなく、本当に胸元で縫う仕草をするというものなのだけれど。
それが嬉しかった。
破けたものは、それで用無しなのではなく、また治せばいいのだ。
つぎはぎでもいい味がでればいいんだ。
やぶけなければ、壊れなければ、見えない形もあるんだ。
嬉しかった。
ついでにいうと、ちくちくと胸元でやるあの動作が、可愛かった。少し癒された。
■
あれ、今日22日だと思ったら23日だった
そして、今日は1日大御所の方のタクシー役となった。本当は今日、活力が湧いてこなかったのですごく運がいい。やっぱり、運がいい。
うんうんっ。
蜘蛛の劔
寒波
季節的に寒い日が続いています。
寒いせいなのか、毎日へとへとして、眠ってしまう。休んでも休んでもそんな心地がなくて、でも決まった時間でないと眠ることができない。そして、夜になると起きたいのに起きていられない。帰ってすぐにごはんを作って眠くなってしまう、生産性のない日々。もう帰ってなにもせずに一度眠ってしまったほうがいいんだろうか。ごはんを作ることも、私にしてはひとつのやることというか、少し労力のいる作業で、でもそれは別に世間的には生産的な活動ではない。なんなのだろう。体力がないせいなのか。
炊事洗濯そうじ、それを一日ひとつこなすとなんだかもう、疲れてしまう。これまではひとつできればいいやって思ってきたけれど、それが必ず炊事になると洗濯そうじまでまわらない。
私は、なにをしてるんだろう。
もっと活力のある人間になりたい。
仕事をしていてもなにをしていても人と関わると気を張ってしまう。あれを言えばこう思われているのか、と言葉を発した後に思う。言葉がないとそれはそれで好感度が下がったのではと勘繰ってしまう。疲れる。
誰になにを言われても嘘なのではないかと疑ってしまう。勘繰りが面倒だと思われるのではないかとまた勘繰る。その繰り返し。
疲れているのだろう、だからおかしなことばかり考えてしまう。なにも考えたくない。消えたくなってしまう。そんな自分はいなくなればいいのに。