まよなかの詩
深夜2時にぼんやりと目が覚める。メッセージの通知が数件、いつの間に眠っていたのだろう。そのままもう一眠り…と目を閉じてもやけに目が冴えるのと、朝の予定を鑑みてベッドから降りた。足下には2つの寝顔。昨日は宴会じみたことをしたから。こたつが暑かったのか離れて眠る2人に毛布がわりの寝袋をかけた。どちらかかわからないけれどありがとうと聞こえた。
片方の、頬をつついた。それでその人の目が覚めたなら、してしまいたいことがあったから。けれどもそんな淡い期待のようなものは叶わなかった。別に叶わなくても良かった。叶えば、良かったんだろうか。でもやっぱり別に叶わなくても良かった。
お風呂に入った。そのまえに溜まってしまった洗い物をこなした。今日は出かける予定だ。人の家に行くからこれはどうにかしないと、と思って。洗い物は大抵手をつけるまでは気が重いけれど実はあまり時間のかからない作業だったりする。だからそれなりの時間で終わった。薄ぼんやりと届いたメッセージのことを考えた。本当は返事がしたい。本当は、起こしてしまいたい。ただ迂闊に携帯が鳴るとなにか周囲に勘繰られてしまうのではないかと思った。痕跡を残すわけにはいかない。お風呂に入りながらぼんやりと考えていた。新しいボディソープの甘い香りは人の体温と混ざると温かく心地よい。周囲の評判は聞いたことがないけれど私は好きだ。そんなことを考えたり仕事の同期や後輩が明日受ける研修のことを考えていた。その人に久しぶりに会うときに話すことを軽くシミュレーションしていた。癖みたいなもので、時間があると偶然出会うと想定される人間との会話を想定してしまう。そういうことを本当はあまりしたくない。
夜中に否定的な言葉を綴るのは精神衛生上よろしくなさそうだからやめる。
そして髪を乾かし寝支度は済んだのだけれど、すぐに眠ってしまえばいいのにこうして言葉を残している。結局のところ、気付いてほしいのである。わかってほしいのかもしれない。私がこの真夜中に、感じていたことや小さな望みのようなことを。別に叶わなくても良かったのだけれど、日付が変わる頃にその人の望んだ私が目覚めることと同じように私も今、君が目覚めればいいのにと思っていることを。
インターネットの海は広くて深い。月に照らされた水面は美しいのだろうか。
私の言葉がビンに詰められ、いつか届きますように。
おやすみなさい。
変わらないものなどない
今日は早抜けが可能なイベントのある日で、早々に抜け出してみた。
これまで先輩や偉い人が一緒で帰ることが出来なかったけど今年は人的にできそうだったから帰った。
そのときたまたま、他の部署にいる後輩の子がいてその子と、その子の引き連れた後輩も一緒になって途中まで帰った。
始めて会ったのは去年の夏。それから私の同期とその子で飲んだりはあった。でもその子が先輩している様子を始めて見て、後輩に対してこんな感じなんだーって。
パチンコをしたりナンパをしたりするらしい。家にこもってゲームをしている印象だったからなんか、変わったのかなぁって。別にいいんだけど。全然いいんだけど。なんだかちょっと、可愛い弟が大人になっちゃったなーみたいな。そんな気分。
老化ですかね。
その子には前、私が遠くに行っちゃった感じがしてたけどそんなことなくて良かったと言われた。私は変わらなかったかもしれないけれどこの一年くらいの間に君は変わったじゃない、と思ったけどまぁいいか。
変わらないものなどない。私がそれを受け入れることができるような大人に変わるまでどのくらいの時間を要するのだろうか。
美味しい
今食べている蕎麦がすごく美味しい。
たまたま入ったところで、多分チェーン店なんだけれどめちゃくちゃに美味しい。
最近食べるもの食べるもの美味しく感じる。幸せなことだなぁ。
この前食べたラーメンもすごく美味しかった。
結局言いたい事はなんなのかというと、ちょっとわからなくなってしまった。
トイレにいきたいので、終わります。
夜と霧
という本をAmazonでぽちっとした。
インターネットの海を泳いでいたら偶然見つけた本で、なんとなく気になったから買ってみたという次第です。
精神学者が自らの収容所経験をもとに書いた本で、紹介文にある
〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
では、この人間とはなにものか。
人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉
という言葉が妙に気になって購入に至った。
そういえばずっと前買った本は郵便屋さんと予定の折り合いがつかなくて受け取れないまんま二ヶ月くらい経った。どうなったのだろう。まぁいいか。よくないか。
今、仕事中の待機時間になっている。
出先だから何も出来ない。普段なら資料やらノートやらあるから読み返したりするのだけれど、今回最低限の荷物で出向いてしまったからとりあえず書いている。
最近よくしてもらっている人の話をします。
その人とどうして仲良くなったのか、それはもういろんな偶然が重なったとしか言えない。
もともとお互い自分の心の奥底の話を口から発するタイプではなかったように思う。(それに気付いたのも文字を媒体としたやりとりやその人の残した言葉から推測した結果、である。)
口から発するタイプでも誰かに直接告げるタイプでもなかった。でもなぜそれに気付いたのか。本当に、ただの偶然。でもその偶然がなければこんなに親しくはなれなかったのかもしれない。
その人が教えてくれた昔のことやコンプレックス、家族のこと。今のその人と日常で話してるだけなら気づけないことが沢山あった。
子供の頃、優しくていいこだったと聞いた。求められたものに応えられてしまう人の葛藤は、応えられない私には程遠いけれど周囲の望むように生きたいと思って行動するところは自分と少し似ていた。葛藤するところも似ていた。だからかその人は私を放っておけないと話す。私はその人にシンパシーを感じている。
実際に距離が近付くことで一番印象が変わった人なのかもしれない。最初はちょっと冷徹な人なのかもしれないと思っていた(笑)でも違った。あたたかかった。私は自分のことを許せないことが多い。その分だけ、それ以上に私を許してくれるのはその人なのだと思う。
あとはなんていうか、人前だとつんけんしている(笑)知り合いの前だとそっけないくらいなのに、知り合いが誰もいないとやさしい。だからか最初仲が悪いのだと思われていたみたい。でもそんなことない。ぜんぜんぜん。ぜんぜんぜんせ。
女の子はツンデレが好きとは言うものの、まぁ、たしかに、2人の時に格別優しいのはなんだか嬉しいものがある。絶対にほだされないぞと意思を固めつつも、そう思う。
それと、その人は私が今までしたことのない見たことない世界を見せてくれる。本人にそのつもりはないのだろうけれど私には知らないことだらけだった。
お酒に酔っ払って路上で嘔吐したその人の介抱とか、本の話とか、漫画の話とかアニメの話とか、行ったことない場所に行くだとか、持ったことのない感情を抱くだとか。新鮮で、楽しい。
酔っ払いの介抱をしたことがないし、ましてや嘔吐する人を全然みたことが無かったから、夜の街の光に溺れながらその人と歩いた記憶が鮮明に残っている。鮮やか。
これ、人に話すとおかしいって言われるんだけれど私にとって本当に大切な想い出なんですよ。
そんな感じで、おしまい。
ちなみに、その人のね、歌が好きです。感情がそのまんま音の抑揚に現れるから、好き。嬉しい時は音も弾んでる、落ち着いてる時は安定してる。笑いながら歌ってる時の表情も好き。なんだか、幸せそうだから。可愛いなって思う。
籠
こもっている。
眠気とぼーっとした頭でこもっている。ぼやぼやとしている。目も半開き。
妄想がやまない。妄想じゃないかもしれない。疎ましがられている気がする。でも別にだから何をされるというわけではない。と思うと別に何でも良くなる。
理解力も足りなくて人を困らせているように思う。改善策を見つけて前に進む元気がない。
疲れた。疲れるとすぐに死ぬことに頭がいってしまう。べつに死にたいわけではなく、そういう癖がある。
趣味もそれなりにあるけど別に私の命をつなぎ止めるものってわけではないのかもしれない。それが少し寂しい。時々悲しくなる。ちょっと思い違えば簡単に命を落とせるんだと思うと悲しい。踏みとどまれるような要素が沢山あるのに思い出すことが出来なくなってしまうんだろう。
なにが悲しいのかもわからないのに涙がでている
なにに苦しんでいるかもわからないのに立ち上がることができない
そういう癖が、自分が好きになれない
もう立ち上がらなくては