ホットケーキは生がいちばん

頭ゆるゆるなインターネット

灰色の雲が覆う青い空

 

 

雨音。

 

 

青い空を灰色の雲が覆っていく。雲行きが怪しいですね、なんて言葉を交わす前にぽつりぽつりと頬を濡らす雨粒。そのうちにコンクリートは水玉模様になり、やがて濃いグレイになる。ザア、と音を立て降り続く雨。草木も濡らされていく。傘を忘れて逃げる人、傘を開く人、コンビニへと走る人。

 

雨が降り出す様子が好き。ざあざあと、降り続く雨音を聞いているのも心地がいい。今も、地面を濡らし続ける雨音を聴きながらカタカタとタイピングをしている。相変わらずミスタイプが多く、今日はbackspaceとinsertを間違える。消そうとしたら、その文字が青く染まって、あれ、あれ。って。

 

青が恋しい。青い空が見たい。

雲一つない空をperfect skyと言うらしい。それを知ってから、学校のことで海外に行ったときに海沿いで見た空がまさにそれだった。

はじめて見たかもしれない。一面の雲一つない空。実際には見たことはあるのかもしれないけれどあんなに記憶に焼き付く空は初めてだった。その言葉がタイトルになった曲を頭の中でかけながらずっとその空を見ていた覚えがある。それから、時々思い浮かべてしまう。蒸し暑い気温と、青い空と、青い海と。その場所では名物になっている魚のフライを投げると群がるカモメの大群。

 

例えば、雨の日を天気が悪いと言ってしまうのはどうなんだろうとか、雨は雨で悪くはないよねとか、そういう論じ方もあるけど。パーフェクトスカイっていうのは本当に完全な空、という意味では言いえて妙なのかもしれない。白い雲も、灰色の雲も、ビルもなにも、太陽すら邪魔できない景色。完全なもの。って。

 

 

 

なんてことを書いていたら雨音が弱まってきた。寝静まっていた街が活動を始めて雨音をかき消しているのかもしれない、そう走り出したバイクの音を聞いて耽る。物思いに耽る。

 

雨…そう、雨は、私は傘を持つ手間があるのであまり好きではない。部屋の中にいるだけでいい日ならまだしも、傘を持たずに濡れてもいいような日ならまだしも、人前に立つだの、一応人間という面子を気にしなければならない日は大変面倒だからだ、

 

でも、今日は雨が降らないかなと思っていたから。そんなに世の中うまくいかないと思いながら、雨が降ることを望んでいたから。言葉のチョイスがおかしいかもしれないけれど恵みの雨、なのかもしれない。ただ24時間365日その気になれば簡単に実現できる時間をもう一度繰り返したいという私のエゴ、希望、願いを叶える雨。ある種のアンコールを叶える雨。

どうして人は…私は、何度でもその気になれば繰り返すことのできることなのに一番であることを望んでしまうのだろう。いつでもできることを一番にしたくなる。いつでもできるのに、今してしまいたい。そしてそれをしたらまた、もう一度、もう一度、と止まないのだ。

まるで中毒。

 

 

I go crazy about .......

 

 

なんちゃって。

 

この私は○○のせいで狂っていくという一文で、crazyという形容詞にgoが重なるのがなぜかその言葉を知った時から気に入っている。狂ってしまう症状に自ら足を踏み入れていく表現がまさにそうだな、と思って。

 

 

 

 

 

一歩一歩、確実に足を進めていく。

その先にあるものはなんだろう。

 

 

 

 

パラレルワールド


平行線の向こうにいる自分がいる



正直に生きるにはあまりにも面倒な世の中だ。欺いているつもりはないが、正しくもいない。そもそも正しさとは何なのだろう。良心の呵責さえなければ、人は嘘をつくことが出来るのだろうか。欺き続けた先には何があるのだろう。


それは無だと思う。


別についてもつかなくてもどうでもいい嘘だからだ。どんな嘘も最終的にそれが重要なのは本人だけなのだ。何故ならば他人にとって自分の言葉や人生は他人の人生だからだ。自分の人生にとっては他人の嘘も真実なのだ。


逆に言えば色眼鏡をかけてしまえばどんな真実も嘘なのだ。だからどうでもいいはずだ。他人の愛も言葉も想いも生き方も所謂嘘でも構わない。なぜなら私にはそれが真実に見え、また都合のいい局面で嘘に見えるからだ。


どうでもいい。それなのに何故本当を求めて徨迷ってしまうのだろう。言葉の真意を求めて勘繰ってしまうのだろう。









未だに言っていません。さようならを誰にも伝えていないからまだ私の赤い糸は小指に繋がっていると思われています。こんな小指は腐り落ちてしまえばいい。ウソです。痛いのは嫌だから。

その人はお元気にしているでしょうか。元気でいてください。


悲しい。どうして気持ちをすぐに忘れてしまうのだろう。素晴らしい感情をすべて真空パックに閉じ込めたい。私の感情は、すぐに記憶から抜け落ちなくなってしまう。だから悲しい。


喜ばしい感情は実際そこに直面している時にはその感情に夢中で言葉を紡ぐことを忘れてしまう。そして何かに挫け、躓いてしまった時に必要となる時には言葉などなく想い出の残り香 を探すだけ。


幸せな時ほどそれに夢中になってしまう。そしてそこから一歩離れた時に、自分が本当にそうであったのかどうかを疑ってしまうのだ。


浅はか。でも、仕方がないのかもしれない。

誰にとってもいらない私の感情は、ただ、私自身がただ、唯一、必要としている。唯一無二の感情。だから。









他責


私はわりとなんでもかんでも人のせいにする。

今もそう。あることを聞き出さなければ忘れるものを忘れた。

こちらから働きかければいいものを、どうして言ってくれないの!と怒っている。そして、八つ当たりをしている。

あの時一言言えていれば…は?むしろ、言ってくれればいいのに!とか言って逆ギレしているのである。内心。でもやっぱり関係者の前では私「も」悪いので~とか言ってる。違うのにね。私「が」悪いんです。


八つ当たりといっても口調がきつくて突っ込まなくてもいいところを突っ込んでいるだけなのだけれど。いやもうキレ口調かもしれない。今も気を使ってもらったはずなのに揚げ足を取るようなことを言っている。その意味は何ですか?みたいな。自分が自分ではないみたいだ。大丈夫か?ゆるキャラの私はどこだ?今目の前の人間は全員言葉のトゲで刺し殺せるかもしれない。こんな姿を目撃されたらまた腹黒だと噂が広まる。違う。私はいつもそんなことを考えている訳では無い。人前だとまた違う。1人だとたまにセンシティブなのだ。すぐに腹が立つのだ。すぐに落ち込むし、ただすぐに笑う。やっぱり生理前なのだろうか。

最近性格の悪さが顔に滲み出ている気がする。怖い。


性格が悪くなるような状況においやられる


絶対こっちのせいじゃないのに向こうは見なさいの一点張り。当たり前か。それが仕事か。忘れてきた私が悪い。



急がば回れだ本当に。

あぁー。でも腹立つ。自分のところじゃないとこがダメになっていなければすぐに終わったはずなのに。腹立つ。怒り。怒りに満ち溢れすぎていてわけがわからない。


自分のせい…



しょうもない。

やっぱり最近運がない。


やっぱり悪いことしたのかなぁ。


でもさぁなんなのおかしくない?もうやだーもうさー何なのあれー



ほらやっぱりまた人のせいに…





おうおうおう


テストみたいなものがあって、

その前に研修受けさせてもらえたり試験官の人は知り合いだらけと、わりとやりやすい空間だったのですが


機械が初期化されないだ、使い慣れない機械しかないだ、まぁ言い訳なんだけどいろんなことがあって時間に間に合わなかった。


多分落ちてると思う(笑)

ちょっと焦っちゃったねーとか、運が悪かったねーって言われた(笑)


本当、どんな状況でもうまく立ち回れるのが実力だけどいざという時に、なんていうかテストでいうと受かるか受からないかの瀬戸際の時に肝心なのは運だと思う。

運も実力のうちって本当だよ。

で、私は瀬戸際のところで運が悪かったからうかりましぇん(笑)



でも、今回のことで沢山の人が私がうまくいくように応援してくれたりして驚いた。

思えば去年やった研修の先生役のときにお世話になった人ばかりで、あぁ人との繋がりが濃いなーって。


あーあ、だからこそうまくいかないと気まずい。ちょっと悲しいけど帰りにやけ食いしたからなんかもう全然大丈夫。


他の人たちが受かるように、サポートだサポート。







そう、結局のところ同じタイミングで資格受ける人達とさして仲がいいわけでもないので抜け駆けしてやる!ふん!って思っていろんな情報を掻き集めてみたはいいものの結局みんなに情報共有しちゃうっていう。性格的に損してる。


でもなんか、そういう自分は本当に良い人だなー、なんて良い人なんだ!って思うとちょっとむふふってなる(笑)



まぁ悪いやつか、ここに至るまでの私の情報獲得率、お膳立ての半端なさはおかしいからな…。





それで資格落ちたかもって私もおかしいよ…







ハハハハ














あとちょっと思うことが

研修で一緒になった先輩が入社したての頃にお世話になって憧れというか、尊敬していた人で。

その人は大会で全国1位の成績をとるようなすごい人なんだけど、その人の手取りのお給料が自分とそんなに変わらない(安い?)と聞いて本当に夢のない場所だなぁと思った。

その人は今まで大会に出て、出世コースで、わりと。ただ途中気持ちか身体を壊したらしいんだけどそこに至るまでの評価はすごく良くて。なのにそれかぁ…残酷だなと少し思う。

あとその人がはじめて会ったときに比べてかなりやつれて、目が爛々としていて、ちょっと怖かった。話すと普通なのになぁ。


でも確かに人はいい人が多い。去年の研修期間も、まさにモラトリアムだった。楽しかった。話しやすい、いい人ばかりで。同期とか、こんなにいいものなんだって他所の場所にいる同期を知ることでわかった。(自分と同じ場所の同期も、いい人なんだけど。)



だからなんだってどうもしないのだけど。




う、お腹痛い、

食べ過ぎた







頭痛が痛い

歯痛が痛い。

腹痛が痛い。


なんて言い間違いよくあるよね。



今日はよく寝たというか寝すぎた。

二度寝してしまって朝バタバタとしていた。

あとぼんやりと眠たい。目が半開き。なぜか頭もいたい




ううーもうやだーーー




かえりたい。ねたい。

実体のないインターネットの詩



詩集を読むと心が洗われた気になる。

そして、どうしようもないよくわからない感情に苛まれることが多い。


詩集は書き手の価値ある言葉の集まりのように思う。だから、自分の言葉に関して意識が高まってしまうんだろう。被害妄想癖の一環だ。


私は、私しかいない。それはそうだろう。でも私のような人間はGoogle検索ですぐに見つかる。私の残す言葉も検索すればすぐに見つかるんだろう。

Googleで一般論や無難を探し続けた私の答えは全てGoogleにあるからだ。そもそも。


出会い系の海を彷徨えば私みたいなひとがきっと見つかる。なんせ実態がない。生きている実感が湧かない。生きていて良かったと軽率に口にしてもまぁ、死んでも良かったとも言える。

死ぬより取り返しのつかないことってないんだなと思う。でも死んでしまったらそれを実感する感情もない。



もし、私が死んだら死んだことは知られたくない。私が死んでも私の話をされるのはなぁ。半年後くらいにふと、小さく言われたい。




私が、死んでも。多分よく似たひとが周りには現れる。

あぁでも私の周りで誰かが死んだら、嫌だなぁ。他のよく似た人がいたとしても。




親にとっては、わたしは唯一無二の存在であるという手応えがある。

それが私が今のところ、生きている理由なのかもしれない。


つまりはこういうこと

あまりにも簡単だった。


思い入れのあった関係はたったの五文字であっけなく壊すことができてしまう。そんなものかと思ったけど、でもまぁそんなものなんだろう。
電車の中でぼんやりと考えた言葉達。放った言葉の反応が怖くて相手から帰ってきた言葉はお知らせの出ないような設定にしてしまった。
恨まれるだろうか、悲しまれるだろうか、怖くなってしまって友達に会ってもらい一緒にみた。その言葉は思うよりずっと、ずっとあっさりしていた。
これまで文章のやりとりで誰かの名前を借りて恋愛の真似事をしていた時期があったけどその真似事よりもなによりもあっけなくあっさりだった。
言葉の向こう側は見えない。画面の向こう側は知れない。ただあっけなく終わったその関係はなんだったのだろうと振り返る。自分から終わらせたくせに。でもいつかは終わるのだ。むしろよく長続きしたと言われる。ああでも私、去る時は追われたいんだなってはじめてそういう立場になって思った。

結局性格とか言葉の齟齬とか、そういう話ならばよかったのに実はそうではなかった。それに気付いたのは人に言えなかったそれを、人に話してからだった。「生理的に、」とか「気持ちで超えられないなにか、」という言葉は母に話して言われて腑に落ちた。
私はその人のことを世界で一番好きって言っていたらしい。それもちゃんと覚えてる。でも、世界で一番好きなのに触れられなかった。触れたけど、触れることが怖い。触れられることが怖い。男性恐怖症の気があったからその名残かと思った。でも違った。世の中にはそういうケースが少なからず存在するらしい。遺伝子配列が似ているだとか、そんな文章を読んで自分を納得させていた。

呪いだ、と思った。
呪いだ。


神様わたしはなにか悪いことでもしましたか。でも、いまはそれでも悪くないというか、まぁいいかというか、解放的な気持ちでいます。



ふう、とため息をついて鏡をみると自分がいる。
別になにも変わらない。なにがあっても自分は自分なのか。
会社にいってもなにも変わらない。周りの2人くらいを覗いて私はその人と仲が良く結婚したがってると思っているみたいだから。
もうすぐ幸せが手に入りますねと言われると、そうだね、と笑っている。
周りの人の中で私ではないわたしが勝手に生きているみたいだ。

パラレルワールドみたいな。姿は同じなのに生き方が違う、みたいな。きっと性格も違うんだろう。
その人の中の自分というものを壊したくない。壊したら幻滅されそうだとか、新たな自分の構築が面倒だとか、いろいろある。その結果相手のこちらに対する話は否定しない、という手段に出てしまう。幸せなんだろうと言われればそうですね、最近大変?と言われればぼちぼちですね、そうやって、本当のところというか、B面の自分はそっと死んでいく。でも別にみんな本当のところが知りたいわけでないのだろう。ルーティンというか、それなりに会話が進めばいい。予定調和を乱さない、時に乱すという予定調和、セオリーを守っていればいい。

 別にだからむなしいとかそういうわけではなくて。きっとそれはみんながみんな同じようなことを思っていて。私が敢えて口にしただけで、別に普遍的なものなんだろう。

でも。



私の本当のところは、B面はそれを受け入れる人だけ知っていればいいと思う。
本当にごくごく少ない人達の中でだけ、私は生きている。生きていたい。

そして、誰かの裏面、B面、ボーナストラックみたいな部分を私も大切に守りたい。




一度知り合った人は他人にはなれない。だけど、他人よりも冷たいことを思うような関係にだってなりえるのだ。だから私は人と仲を深めることが怖くて苦手でいつだって自己紹介で時間の大半を占める初対面というものに安心してしまう。