ホットケーキは生がいちばん

頭ゆるゆるなインターネット

他責


私はわりとなんでもかんでも人のせいにする。

今もそう。あることを聞き出さなければ忘れるものを忘れた。

こちらから働きかければいいものを、どうして言ってくれないの!と怒っている。そして、八つ当たりをしている。

あの時一言言えていれば…は?むしろ、言ってくれればいいのに!とか言って逆ギレしているのである。内心。でもやっぱり関係者の前では私「も」悪いので~とか言ってる。違うのにね。私「が」悪いんです。


八つ当たりといっても口調がきつくて突っ込まなくてもいいところを突っ込んでいるだけなのだけれど。いやもうキレ口調かもしれない。今も気を使ってもらったはずなのに揚げ足を取るようなことを言っている。その意味は何ですか?みたいな。自分が自分ではないみたいだ。大丈夫か?ゆるキャラの私はどこだ?今目の前の人間は全員言葉のトゲで刺し殺せるかもしれない。こんな姿を目撃されたらまた腹黒だと噂が広まる。違う。私はいつもそんなことを考えている訳では無い。人前だとまた違う。1人だとたまにセンシティブなのだ。すぐに腹が立つのだ。すぐに落ち込むし、ただすぐに笑う。やっぱり生理前なのだろうか。

最近性格の悪さが顔に滲み出ている気がする。怖い。


性格が悪くなるような状況においやられる


絶対こっちのせいじゃないのに向こうは見なさいの一点張り。当たり前か。それが仕事か。忘れてきた私が悪い。



急がば回れだ本当に。

あぁー。でも腹立つ。自分のところじゃないとこがダメになっていなければすぐに終わったはずなのに。腹立つ。怒り。怒りに満ち溢れすぎていてわけがわからない。


自分のせい…



しょうもない。

やっぱり最近運がない。


やっぱり悪いことしたのかなぁ。


でもさぁなんなのおかしくない?もうやだーもうさー何なのあれー



ほらやっぱりまた人のせいに…





おうおうおう


テストみたいなものがあって、

その前に研修受けさせてもらえたり試験官の人は知り合いだらけと、わりとやりやすい空間だったのですが


機械が初期化されないだ、使い慣れない機械しかないだ、まぁ言い訳なんだけどいろんなことがあって時間に間に合わなかった。


多分落ちてると思う(笑)

ちょっと焦っちゃったねーとか、運が悪かったねーって言われた(笑)


本当、どんな状況でもうまく立ち回れるのが実力だけどいざという時に、なんていうかテストでいうと受かるか受からないかの瀬戸際の時に肝心なのは運だと思う。

運も実力のうちって本当だよ。

で、私は瀬戸際のところで運が悪かったからうかりましぇん(笑)



でも、今回のことで沢山の人が私がうまくいくように応援してくれたりして驚いた。

思えば去年やった研修の先生役のときにお世話になった人ばかりで、あぁ人との繋がりが濃いなーって。


あーあ、だからこそうまくいかないと気まずい。ちょっと悲しいけど帰りにやけ食いしたからなんかもう全然大丈夫。


他の人たちが受かるように、サポートだサポート。







そう、結局のところ同じタイミングで資格受ける人達とさして仲がいいわけでもないので抜け駆けしてやる!ふん!って思っていろんな情報を掻き集めてみたはいいものの結局みんなに情報共有しちゃうっていう。性格的に損してる。


でもなんか、そういう自分は本当に良い人だなー、なんて良い人なんだ!って思うとちょっとむふふってなる(笑)



まぁ悪いやつか、ここに至るまでの私の情報獲得率、お膳立ての半端なさはおかしいからな…。





それで資格落ちたかもって私もおかしいよ…







ハハハハ














あとちょっと思うことが

研修で一緒になった先輩が入社したての頃にお世話になって憧れというか、尊敬していた人で。

その人は大会で全国1位の成績をとるようなすごい人なんだけど、その人の手取りのお給料が自分とそんなに変わらない(安い?)と聞いて本当に夢のない場所だなぁと思った。

その人は今まで大会に出て、出世コースで、わりと。ただ途中気持ちか身体を壊したらしいんだけどそこに至るまでの評価はすごく良くて。なのにそれかぁ…残酷だなと少し思う。

あとその人がはじめて会ったときに比べてかなりやつれて、目が爛々としていて、ちょっと怖かった。話すと普通なのになぁ。


でも確かに人はいい人が多い。去年の研修期間も、まさにモラトリアムだった。楽しかった。話しやすい、いい人ばかりで。同期とか、こんなにいいものなんだって他所の場所にいる同期を知ることでわかった。(自分と同じ場所の同期も、いい人なんだけど。)



だからなんだってどうもしないのだけど。




う、お腹痛い、

食べ過ぎた







実体のないインターネットの詩



詩集を読むと心が洗われた気になる。

そして、どうしようもないよくわからない感情に苛まれることが多い。


詩集は書き手の価値ある言葉の集まりのように思う。だから、自分の言葉に関して意識が高まってしまうんだろう。被害妄想癖の一環だ。


私は、私しかいない。それはそうだろう。でも私のような人間はGoogle検索ですぐに見つかる。私の残す言葉も検索すればすぐに見つかるんだろう。

Googleで一般論や無難を探し続けた私の答えは全てGoogleにあるからだ。そもそも。


出会い系の海を彷徨えば私みたいなひとがきっと見つかる。なんせ実態がない。生きている実感が湧かない。生きていて良かったと軽率に口にしてもまぁ、死んでも良かったとも言える。

死ぬより取り返しのつかないことってないんだなと思う。でも死んでしまったらそれを実感する感情もない。



もし、私が死んだら死んだことは知られたくない。私が死んでも私の話をされるのはなぁ。半年後くらいにふと、小さく言われたい。




私が、死んでも。多分よく似たひとが周りには現れる。

あぁでも私の周りで誰かが死んだら、嫌だなぁ。他のよく似た人がいたとしても。




親にとっては、わたしは唯一無二の存在であるという手応えがある。

それが私が今のところ、生きている理由なのかもしれない。


つまりはこういうこと

あまりにも簡単だった。


思い入れのあった関係はたったの五文字であっけなく壊すことができてしまう。そんなものかと思ったけど、でもまぁそんなものなんだろう。
電車の中でぼんやりと考えた言葉達。放った言葉の反応が怖くて相手から帰ってきた言葉はお知らせの出ないような設定にしてしまった。
恨まれるだろうか、悲しまれるだろうか、怖くなってしまって友達に会ってもらい一緒にみた。その言葉は思うよりずっと、ずっとあっさりしていた。
これまで文章のやりとりで誰かの名前を借りて恋愛の真似事をしていた時期があったけどその真似事よりもなによりもあっけなくあっさりだった。
言葉の向こう側は見えない。画面の向こう側は知れない。ただあっけなく終わったその関係はなんだったのだろうと振り返る。自分から終わらせたくせに。でもいつかは終わるのだ。むしろよく長続きしたと言われる。ああでも私、去る時は追われたいんだなってはじめてそういう立場になって思った。

結局性格とか言葉の齟齬とか、そういう話ならばよかったのに実はそうではなかった。それに気付いたのは人に言えなかったそれを、人に話してからだった。「生理的に、」とか「気持ちで超えられないなにか、」という言葉は母に話して言われて腑に落ちた。
私はその人のことを世界で一番好きって言っていたらしい。それもちゃんと覚えてる。でも、世界で一番好きなのに触れられなかった。触れたけど、触れることが怖い。触れられることが怖い。男性恐怖症の気があったからその名残かと思った。でも違った。世の中にはそういうケースが少なからず存在するらしい。遺伝子配列が似ているだとか、そんな文章を読んで自分を納得させていた。

呪いだ、と思った。
呪いだ。


神様わたしはなにか悪いことでもしましたか。でも、いまはそれでも悪くないというか、まぁいいかというか、解放的な気持ちでいます。



ふう、とため息をついて鏡をみると自分がいる。
別になにも変わらない。なにがあっても自分は自分なのか。
会社にいってもなにも変わらない。周りの2人くらいを覗いて私はその人と仲が良く結婚したがってると思っているみたいだから。
もうすぐ幸せが手に入りますねと言われると、そうだね、と笑っている。
周りの人の中で私ではないわたしが勝手に生きているみたいだ。

パラレルワールドみたいな。姿は同じなのに生き方が違う、みたいな。きっと性格も違うんだろう。
その人の中の自分というものを壊したくない。壊したら幻滅されそうだとか、新たな自分の構築が面倒だとか、いろいろある。その結果相手のこちらに対する話は否定しない、という手段に出てしまう。幸せなんだろうと言われればそうですね、最近大変?と言われればぼちぼちですね、そうやって、本当のところというか、B面の自分はそっと死んでいく。でも別にみんな本当のところが知りたいわけでないのだろう。ルーティンというか、それなりに会話が進めばいい。予定調和を乱さない、時に乱すという予定調和、セオリーを守っていればいい。

 別にだからむなしいとかそういうわけではなくて。きっとそれはみんながみんな同じようなことを思っていて。私が敢えて口にしただけで、別に普遍的なものなんだろう。

でも。



私の本当のところは、B面はそれを受け入れる人だけ知っていればいいと思う。
本当にごくごく少ない人達の中でだけ、私は生きている。生きていたい。

そして、誰かの裏面、B面、ボーナストラックみたいな部分を私も大切に守りたい。




一度知り合った人は他人にはなれない。だけど、他人よりも冷たいことを思うような関係にだってなりえるのだ。だから私は人と仲を深めることが怖くて苦手でいつだって自己紹介で時間の大半を占める初対面というものに安心してしまう。

空の青、海の青、そして


江ノ島に行ってきました。


適度に…いや、少し過度に暑く太陽に照らされたその場所は眩しく、辛くもあったけれどまさに夏だなって気温で心地よかった。

太陽に照らされることは好きです。なんだか元気になれる気がするから。


水族館にいってお魚美味しそうだとか言ったり昔からの友達と好き勝手ふらふらするのが楽しかったです。全員協調性がないから勝手に好きなところへふらふらいってまた好き勝手なところで全員合流してしまうのも良かった。


途中、はぐれちゃってくらげのコーナーにある椅子に座ってたら急に眠くなって目を閉じていた。



ざわざわ、ざわざわ。


小さな子のくらげだーって声、一眼を持っているらしいカップルの撮った写真を見合う声、空間に溶け込む声を聞いて自分も溶けそうになる。


いろいろな声が混ざり合うこの場所は落ち着く。


ざわざわ、ざわざわ。


友達の声を探す。


ざわざわ。



似た声を見つけて目を開けても違う。



おかしいなぁと、何度も繰り返す。




見つからないから外のコーナーへ海を見に行ったら友達を見つけた。



それで、UFOキャッチャーをやってぬいぐるみを沢山とって帰った。



わあい。






なんだかもう眠たいのでなにを言いたいんだかもわからなくなってしまいました。そもそも言いたいこともあったんだろうか。まぁ、生きてた足跡ということで。







そうそう、今日はドラえもんの誕生日なんですよ。


ドラえもんと誕生日が同じっていってた友達が誕生日だとお知らせが来て気付いた。













インスタント

あまりにも簡単だった。


近頃はなにもかもが難しく、そして簡単に見える。そんなものかと思ったけど、でもまぁそんなものなんだろう。

こんな時代になってしまえばなにもかもがインスタントで割れもの注意、なのだろうな。


ふう、とため息をついて鏡をみると自分がいる。
別になにも変わらない。なにがあっても自分は自分なのか。
会社にいってもどこでなにしてもなにも変わらない。周りの自分に対する認知も変わらない。なにも言ってないから。
何を言われてもそうだね、と笑っている。
周りの人の中で私ではないわたしが勝手に生きているみたいだ。

パラレルワールドみたいな。姿は同じなのに生き方が違う、みたいな。きっと性格も違うんだろう。

その人の中の自分というものを壊したくない。壊したら幻滅されそうだとか、新たな自分の構築が面倒だとか、いろいろある。その結果相手のこちらに対する話は否定しない、という手段に出てしまう。幸せなんだろうと言われればそうですね、最近大変?と言われればぼちぼちですね、そうやって、本当のところというか、B面の自分はそっと死んでいく。でも別にみんな本当のところが知りたいわけでないのだろう。ルーティンというか、それなりに会話が進めばいい。予定調和を乱さない、時に乱すという予定調和、セオリーを守っていればいい。

 別にだからむなしいとかそういうわけではなくて。きっとそれはみんながみんな同じようなことを思っていて。私が敢えて口にしただけで、別に普遍的なものなんだろう。

でも。



私の本当のところは、B面はそれを受け入れる人だけ知っていればいいと思う。
本当にごくごく少ない人達の中でだけ、私は生きている。生きていたい。

そして、誰かの裏面、B面、ボーナストラックみたいな部分を私も大切に守りたい。




一度知り合った人は他人にはなれない。だけど、他人よりも冷たいことを思うような関係にだってなりえるのだ。だから私は人と仲を深めることが怖くて苦手でいつだって自己紹介で時間の大半を占める初対面というものに安心してしまう。

それでも、だ。










そういえば割れたせとものをくっつけて独特の風味を出すという文化があるようです。割れてしまったからもうおしまい、ではなくてそれを大切にすることで新しい味が出るとか、そんな。