ホットケーキは生がいちばん

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花火をみた。


大きい花火が上がると、その度に学生時代文化祭の最後に上がっていた花火を思い出す。

研究室の窓から友達と先生と見上げた花火は、確かにいわゆる青春だったのだろうか。


今日テレビで青春について取り上げられていて私にはそんなものは無いと思っていたけど、あれは青春だったのかもしれない。



消えなーいでー消えなーいでーって音速ラインの打ち上げ花火って曲を思い出しながら観てた。



花火は一瞬の光で、儚くて、けむりだけが残って、風に乗ってけむりすら空気に舞って消えて。

だからこそ、誰かの心に残り続けるんだろうか。

星の光が本当はずっとずっと前の光だったように。





なんてエモーショナルすぎるか。




人と人とは、わかりあえない。
通じ合うことは難しい。
躓く事が怖いから、逃げたい。


花火をみながら考えていた。
これまでのこと、これからのこと。

タブレット秋葉原で安いこと言い忘れたなとか、しょうもないことばかり考えていた。

浮かれいた時期に好きなアイドルが女装した時に着た黄色くてひまわりの散りばめられたドレスを着て結婚式したいと密かに思っていた。二次会の音楽は自分できめて好きなアイドルの曲をこっそりかけようとか思っていた。
そもそもこの人が好きだからアイドルヲタクもやめれるかなとかおもっていた。料理も、少しする気が起こった。部屋の掃除も、ベッドを買う動機も。その人だから。

でもやっぱり、私は人付き合いがうまくやれないから。歪にしてしまった。なんでもかんでもいいよって言ってるからだよと同期の女の子は言った。

こうあるべきだのこう、にうまく当てはまれなかった。

頑張れ、向き合え、と言い聞かせてもだめだった。ここで逃げたらずっと私は逃げてばかりだとも思った。でもだめだった。もう逃げてばかりなんだとおもう。一生逃げてるよ、こうなったら。それでいいよ。一生逃げた頃には、それなりに誰かのネタになると思う。
誰かといないと将来孤独死するんだよ、と誰かに言われたけど誰かと一緒にいたって孤独なんだから、物質的に孤独なのも精神的に孤独なのも変わらないように思う。こういう捻くれた人間なんだから仕方ないだろう。


こうやって、逆に私が誰かに跳ね除けられたら苦しい。でも私はわからない跳ね除けないやり方がわからない。どうしてわからないんだろう。
むしろ私の生きてきた世界は私の優しさを表向きにでも信じて跳ね除けないでくれた人達ばかりだった。その跳ね除けない行為自体が、本当の優しさなのだと最近ようやく気付いた。


花火が上がっている、止まることなく、次々と上がっていく。

一言、告げて、雨のせいでぬかるんだ道を1人で歩こうと思った。

結局ぼんやりと空を眺めているうちに花火は全て上がりきった。


タイミング逃した。

渡し忘れたのど飴をあげた。よく風邪をひくから。
犬のカンカンだったから、あげたくなってわざわざ買ってしまったけどあげる行為をこのタイミングで行うのは倫理的にどうなのだろうかわからなかった。

情とよくわからない気持ちでごちゃごちゃなんだ、自分はごちゃごちゃだからおかしなことをしてしまうんだ。

自分が相手の話をしてきた同期やら周りの人やら家族の顔が浮かんだ。なんて言えばいいんだろう。人の想定と外れることを故意的にすることは疲れる。別に人が自分に興味ないことはわかっているのに。自分に頓着があるのは自分だけだ。見ないで、見て、わからないで、わかって、…って、メンヘラか。心が甘えてる。いらない、本当に。


そんなことを考えながら悶々としている間に言えなかった文字は湿度の高い空気に黙って消えた。






夏が終わる。