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おばあちゃんの退院

おばあちゃんが退院した。

 

25日の予定が一日早まってくれた。

 

朝五時に起きておじいちゃんの手伝い・・・農作物の収穫をしようとしたら朝は雨でやめになった。

代わりにというか、洗濯機を回してポテトサラダを作った。

ポテトサラダはおばあちゃんの得意料理というか、おばあちゃんのポテトサラダが、私は大好きで。それで作った。出来栄えはちょっとじゃがいも煮えすぎ・・・ってところです。

 

そしてテレビの同軸コネクタつくりのためにスーパーに行って病院へ。

 

おばあちゃんは薬の説明を受けていた。一日に決められた量について話をしていて、手持ちの袋に麻薬と書いてあって驚いた。だけれどお医者さんとしっかりお話をしていて、乱用することはないだろうからってお話をしていた。

おばあちゃんは立ち上がって歩くことも最初は大変そうにしていて、帰り支度だけで汗だくだくらしい。それでもうれしそうにしていた。

 

病院でおばあちゃんを伝って仲良くなったいっこ下の女の子とまたお話をして、趣味が本当に似ていて驚いた。仲良くなったらキンプリを見ようだの、そんな話をしていた。

帰りの車の中で彼女が難しい病気にかかっていることをおばあちゃんから知らされた。若い人でもなる原因不明の病気らしい。治癒方法も不明で難病として国から指定を受けているのだとか。今日ちらっと、病院を移るときに外に出たらくらっときた話をしていたのとご飯が食べられないというお話を聞いていたらそうなのかもとは思っていたけれど。でもきっと、あの子はよくなるよ、とおばあちゃんは言っていた。私もそう思うし、そうであってほしいと願っている。

 

ここ数日間、命というものがすごく近くにあった。むしろこれまで、どれだけ遠く離れていたのだろうか。

感受性や想像力が、人間として過ごすごとに深まっていくから、いろんなことを考えた。

お花の好きなおばあちゃんが植えた花壇や野菜、きれいな色鮮やかな景色はおばあちゃんがいなくなったら、もうないんだろうか。おばあちゃんの引き出しに入った沢山の毛糸、手芸セット、そういうのも全部全部、なくなるのだろうか。(意味が、だとか存在意義が、だとかいう言葉が私の頭ではぴたりとくる言葉なのだけれどそういう物言いはどうしてもしたくなかった。少し葛藤して、もやりとした表現をするに至った)

 

きれいなおうちはほこりをかぶっていくのだろうか、おばあちゃんはこのおうちを一人できれいにしたりしていたんだろうなあと思う。

誰かが来た時に喜んでもらえるように、子供や孫が来た時にかわらない景色を見て安心してもらえるようにって、まえにおばあちゃんはいってた。

 

いつか、もう少し余裕ができたら毛糸とかガーデニングとか、おばあちゃんの楽しんできたものに触れてみたいなとも思っている。いつになるかわからないけれど。

好きなキャラクターのぬいぐるみとか毛布とか、なんでも作ってくれる魔法の手のような存在にはなれないかもしれないけれど。

 

 

なんだか何を言いたいのかわからなくなってしまった。とりあえずおばあちゃんからのお使いの甘納豆は失敗に終わったのでこれから散歩がてら買いに行ってきます。