変化
もう一度なにかを学校で学ぶならなにを学び直したいか?という議論を一度見かけ、それから一人でじっと考えていることがある。
ある友達は分数だ、と言った。ある人は仕事で使う知識だ、と言った。
学校で教えることもより実務的なものにするべきだという議論もある。
今の自分に足りないものだったりするのかもしれない。
私がもう一度学びたい、突き詰めたいのは倫理と人類学。
それは別に、今仕事で使うものでもなければ今後使う見込みのあるものでもない。
でも、学校で学んだ沢山の分野の中で一番「学ぶことが楽しい」と思ったものだからもう一度学びたい。
授業のひとつひとつが楽しくて、(なぜ楽しかったのかあまり覚えていないのに)そしてその姿勢が成績やレポートの出来に反映されるのも楽しかったし、まぁ倫理が好きな自分が、好きだったのかもしれない。
勉強といえば私はあんまり…なんていうか、学校で頭の出来を測られる指標であり、平均より上、できれば上の方にいることを目的にしていた。平均以下ならちょっと焦るし、勉強をするし、平均より上ならあぁよかったって思って勉強する。勉強に苦はないけれど、まぁ別にこう、なんていうのかなぁ。なんかまぁ別にってものだった。それが大きく変わったのが、この分野の学問だった。
…とは言いつつも勉強から離れた今、私が覚えているのはソクラテス、プラトン、アリストテレス、そして「イデア」という概念。
イデアはアイディア…ideaの語源であり、そのものの概念とか…だったと思う。私はなぜか四角の中の真ん中の丸、と覚えていた。今もその言葉を聞くと頭にその図形を思い浮かべる。
ものにも、何にも、概念がある。…ではその概念を作るのは誰なのだろう。そのもの自身?他人?…なんてことをよく考えていた。答えなんて知らないまんまに私は大人になった。
まぁいいか。
あと、人類学は選択授業で人気の心理学に漏れてしまって受けた授業なんだけどそれは結構面白かった。
ちょっと変わった俯瞰主義の先生が見てきた人や本、世界に触れて、いろんな人の書いた人に関する本を読んで、レポートにまとめるというものだったのだけれど。その授業を通して本の著者も結局人間であるということや村特有の文化とか、今では考えられないしきたりがあることとか、本当にいろいろ、そう、いろんな人や文化があることを学んだ。
私が最後に与えられた課題の本は「呪い」についてだったんだけれど、そこではじめて呪いというものを信じている村が日本にもあることを知った。じっとりと狭いコミュニティが存在することがわかった。
多分、私は人や移り行く心、言葉、文化に興味があるのかもしれない。なんて。
あぁ、でも、いつかもう一度。もう一度、学んでみようかな。
いつかは多分今じゃないから、いつか。
そういえば今日はグルメな人が集まる街に用事があって行ってみたのだけれど、ランチを贅沢に食べようと思ったら一人だったのもあって安いうどん屋さんに行ってしまった。
これまでは一人が当たり前で一人での贅沢もしていたのだけれど、最近は人といることも多く、共有できた方がいいな、と思うようになった。一人の時は一人で、人といるときに美味しいものとか、特別なものとかを食べたり見たりしたいな…って。
もちろん人といる時間も長いからその人との時間を全て贅沢にもできるわけがなく、お金や時間も有限な中で、
そんな中でメリハリを必要とするなかで、貼りの部分をわざわざ一人のときに使うのなら、減りの部分もってきたほうが、二人でいる時の張りの時間も増えるのかな…なんていろいろもろもろ考えるようになった。
遊びに行くにしても、楽しそうなこと、やりたいことはすぐにやる…一人でもやる主義だったけれど少し待って人とお休みが被る時間にするようになった。
…なんて、お高いチョコドリンク啜りながら言うことじゃないか。
おしまい。