パラレルワールド
平行線の向こうにいる自分がいる
正直に生きるにはあまりにも面倒な世の中だ。欺いているつもりはないが、正しくもいない。そもそも正しさとは何なのだろう。良心の呵責さえなければ、人は嘘をつくことが出来るのだろうか。欺き続けた先には何があるのだろう。
それは無だと思う。
別についてもつかなくてもどうでもいい嘘だからだ。どんな嘘も最終的にそれが重要なのは本人だけなのだ。何故ならば他人にとって自分の言葉や人生は他人の人生だからだ。自分の人生にとっては他人の嘘も真実なのだ。
逆に言えば色眼鏡をかけてしまえばどんな真実も嘘なのだ。だからどうでもいいはずだ。他人の愛も言葉も想いも生き方も所謂嘘でも構わない。なぜなら私にはそれが真実に見え、また都合のいい局面で嘘に見えるからだ。
どうでもいい。それなのに何故本当を求めて徨迷ってしまうのだろう。言葉の真意を求めて勘繰ってしまうのだろう。
未だに言っていません。さようならを誰にも伝えていないからまだ私の赤い糸は小指に繋がっていると思われています。こんな小指は腐り落ちてしまえばいい。ウソです。痛いのは嫌だから。
その人はお元気にしているでしょうか。元気でいてください。
悲しい。どうして気持ちをすぐに忘れてしまうのだろう。素晴らしい感情をすべて真空パックに閉じ込めたい。私の感情は、すぐに記憶から抜け落ちなくなってしまう。だから悲しい。
喜ばしい感情は実際そこに直面している時にはその感情に夢中で言葉を紡ぐことを忘れてしまう。そして何かに挫け、躓いてしまった時に必要となる時には言葉などなく想い出の残り香 を探すだけ。
幸せな時ほどそれに夢中になってしまう。そしてそこから一歩離れた時に、自分が本当にそうであったのかどうかを疑ってしまうのだ。
浅はか。でも、仕方がないのかもしれない。
誰にとってもいらない私の感情は、ただ、私自身がただ、唯一、必要としている。唯一無二の感情。だから。