ホットケーキは生がいちばん

頭ゆるゆるなインターネット

実体のないインターネットの詩



詩集を読むと心が洗われた気になる。

そして、どうしようもないよくわからない感情に苛まれることが多い。


詩集は書き手の価値ある言葉の集まりのように思う。だから、自分の言葉に関して意識が高まってしまうんだろう。被害妄想癖の一環だ。


私は、私しかいない。それはそうだろう。でも私のような人間はGoogle検索ですぐに見つかる。私の残す言葉も検索すればすぐに見つかるんだろう。

Googleで一般論や無難を探し続けた私の答えは全てGoogleにあるからだ。そもそも。


出会い系の海を彷徨えば私みたいなひとがきっと見つかる。なんせ実態がない。生きている実感が湧かない。生きていて良かったと軽率に口にしてもまぁ、死んでも良かったとも言える。

死ぬより取り返しのつかないことってないんだなと思う。でも死んでしまったらそれを実感する感情もない。



もし、私が死んだら死んだことは知られたくない。私が死んでも私の話をされるのはなぁ。半年後くらいにふと、小さく言われたい。




私が、死んでも。多分よく似たひとが周りには現れる。

あぁでも私の周りで誰かが死んだら、嫌だなぁ。他のよく似た人がいたとしても。




親にとっては、わたしは唯一無二の存在であるという手応えがある。

それが私が今のところ、生きている理由なのかもしれない。