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ホットケーキは生がいちばん

頭ゆるゆるなインターネット

つまりはこういうこと

あまりにも簡単だった。


思い入れのあった関係はたったの五文字であっけなく壊すことができてしまう。そんなものかと思ったけど、でもまぁそんなものなんだろう。
電車の中でぼんやりと考えた言葉達。放った言葉の反応が怖くて相手から帰ってきた言葉はお知らせの出ないような設定にしてしまった。
恨まれるだろうか、悲しまれるだろうか、怖くなってしまって友達に会ってもらい一緒にみた。その言葉は思うよりずっと、ずっとあっさりしていた。
これまで文章のやりとりで誰かの名前を借りて恋愛の真似事をしていた時期があったけどその真似事よりもなによりもあっけなくあっさりだった。
言葉の向こう側は見えない。画面の向こう側は知れない。ただあっけなく終わったその関係はなんだったのだろうと振り返る。自分から終わらせたくせに。でもいつかは終わるのだ。むしろよく長続きしたと言われる。ああでも私、去る時は追われたいんだなってはじめてそういう立場になって思った。

結局性格とか言葉の齟齬とか、そういう話ならばよかったのに実はそうではなかった。それに気付いたのは人に言えなかったそれを、人に話してからだった。「生理的に、」とか「気持ちで超えられないなにか、」という言葉は母に話して言われて腑に落ちた。
私はその人のことを世界で一番好きって言っていたらしい。それもちゃんと覚えてる。でも、世界で一番好きなのに触れられなかった。触れたけど、触れることが怖い。触れられることが怖い。男性恐怖症の気があったからその名残かと思った。でも違った。世の中にはそういうケースが少なからず存在するらしい。遺伝子配列が似ているだとか、そんな文章を読んで自分を納得させていた。

呪いだ、と思った。
呪いだ。


神様わたしはなにか悪いことでもしましたか。でも、いまはそれでも悪くないというか、まぁいいかというか、解放的な気持ちでいます。



ふう、とため息をついて鏡をみると自分がいる。
別になにも変わらない。なにがあっても自分は自分なのか。
会社にいってもなにも変わらない。周りの2人くらいを覗いて私はその人と仲が良く結婚したがってると思っているみたいだから。
もうすぐ幸せが手に入りますねと言われると、そうだね、と笑っている。
周りの人の中で私ではないわたしが勝手に生きているみたいだ。

パラレルワールドみたいな。姿は同じなのに生き方が違う、みたいな。きっと性格も違うんだろう。
その人の中の自分というものを壊したくない。壊したら幻滅されそうだとか、新たな自分の構築が面倒だとか、いろいろある。その結果相手のこちらに対する話は否定しない、という手段に出てしまう。幸せなんだろうと言われればそうですね、最近大変?と言われればぼちぼちですね、そうやって、本当のところというか、B面の自分はそっと死んでいく。でも別にみんな本当のところが知りたいわけでないのだろう。ルーティンというか、それなりに会話が進めばいい。予定調和を乱さない、時に乱すという予定調和、セオリーを守っていればいい。

 別にだからむなしいとかそういうわけではなくて。きっとそれはみんながみんな同じようなことを思っていて。私が敢えて口にしただけで、別に普遍的なものなんだろう。

でも。



私の本当のところは、B面はそれを受け入れる人だけ知っていればいいと思う。
本当にごくごく少ない人達の中でだけ、私は生きている。生きていたい。

そして、誰かの裏面、B面、ボーナストラックみたいな部分を私も大切に守りたい。




一度知り合った人は他人にはなれない。だけど、他人よりも冷たいことを思うような関係にだってなりえるのだ。だから私は人と仲を深めることが怖くて苦手でいつだって自己紹介で時間の大半を占める初対面というものに安心してしまう。