ホットケーキは生がいちばん

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living life

今日はしごともお休み。

そのせいか昨日のお酒を飲む会でははめをはずしたというか帰るタイミングを失ってしまって酔っぱらってしまった。日付の変わる少し前に家に到着し、散々迷惑をかけた後に六時くらいに目が覚めた。六時に目が覚めた後また案の定眠ってしまって、もう昼頃になったかと思えば9時過ぎだった。そのままぽけぽけと過ごしていたらお昼になっていた。

一緒に時間をともにしている人は今日も仕事だというのに。

申し訳ないという気持ちと、あとは久しぶりにこういう日だったのでせっかくだからと掃除と洗濯をした。

人の家の掃除は楽しいけれど難しい。なにがというと、やりすぎるとその人らしさがなくなってしまうのである。本棚の並びとか、物の並べ方とか、そういうところのその人っぽさを私は損ないたくないというか・・・とかいいつつ、巻数順にそろえてしまったりもするのだけど。

 

台所、とかね。台所だと、コンロに本当は油除けのシートを貼ってしまいたいところだけれどぐっと堪えている・・・だって、そうじゃないか。そんなの貼ったらひとたまりもない。大変なことだ。外部の人間の影響もなく一人称で台所に油除けのシートを貼る人では・・・ないだろう(笑)

あとははじめてその人の家に行った時の気持ちを忘れないように掃除をしている。だから自分のモノが増えすぎた今、申し訳なくも思う。

 

夏の日、初めて足を踏み入れた時、ドアを開けた時・・・少しあたたかい空気が包んだその部屋は澄んでいて、モノが少なくて、青が多くて、思ったよりもきれいで驚いて。一瞬、裏切り者!と思ったりして。あんまりきれいだから(笑)

 

好きな女優さんのポスターがあって、それが額に入れられていて、いいなと思って。白くて青くて澄んでいた、あの部屋を思い出すように掃除をしている。

 

 

HK・・・で話は変わるけど、という意味でよく手紙に書いていた時期があったな。小学生や中学生の時に授業を聞いているふりをして手紙を書いて、休み時間に交換するのが流行っていた。懐かしい。

 

個人的にはずっと楽しみにしていた連休だった。特になにをするというわけでもないのだが、この日を待ち望んでいた。

 

仕事に行かなくてもいい1日は安心している。仕事に行かなくてはいけない朝は鬱屈としている。

 

仕事に関して少し限界を感じ始めている。自分でも優先順位がわからないまんまにタスクをこなせず、かといってそのタスクも、自分が成長するものなのかと考えたら・・・わからないのだ。

 

ずっと、誰がやってもいいようなタイピングを繰り返している。

ずっと、誰がやってもいいような処理をしている。

ずっと、誰が聞いても答えられるような質問に答えている。

ずっと、前に誰かが聞いた質問に答えている。

 

この処理は、もう別の人に任せなかったけだとか、思うけれど。でも、忙しそうにしているその人の顔を見ると「忙しいなら私がやるよ」と言ってしまう。

 

私は忙しくないのか?

 

昨日も、飲み会の準備と溜まっていた事務処理の納期が重なってしまって困っていたら「あなたの溜まっている事務処理って何?」って、聞かれた。

 

ぐちゃぐちゃになってしまった。

 

あの人がやらない事務処理、あの人に聞かれたデータの吸出し、あまり優先ではない頼まれごと、毎日の料金処理、時間が出来たらやってと言われたプログラムの編集、

 

どうでもいい、憂鬱になるしょうもない処理に時間を圧迫されてスキルアップが臨める仕事ができない。

 

私はそのうち飼いならされて消費されて終わるのだ。

 

 

なんのためにこんなしょうもないことをやっているんだと思っていたら早く仕事に出るはずが身体が動かず少し時間ぎりぎりになってしまった。

「あなたも寝坊をするんだね」と言われたから謝っておいた。

 

憎しみが溜まっていく。技術も知識もあるわけでもないのに勉強をしようという力が湧いてこない。

 

マネジメントだとか調整だとか、周囲に働きかけるだとか、疲れる。様々な意見の人間の間で揉まれている。最近、仕事をしていて何かを掴んだという感触がない。

 

なのに周りにはあなたはやっていることがたくさんあるから上への働きかけのネタもたくさんあっていいね、と言われる。すごいね、と言われてもうれしくない。もううれしくない。上っ面だけの自分、上っ面だけの仕事、なににもやりたいと思えない。職場に近づくにつれて感受性も死んでいく。退勤していると人間らしさが蘇ってくる。ロボットのようだ。しょうもない事務処理をして、・・・そもそもなんでこんなことやってるんだろう。どうして人が怠けてやらないものまで私がやっているんだ。わたしも同じ思いをさせているんだろうか。周りにはそれが当たり前だと思っている人間もいる。わたしはお前と同じ仕事をして、それに加えてあなたのやらない処理をやっているんだと言いたい。表彰をされても評価をされても褒められてもうれしくない。そんなものよりも人間らしく働ける環境がほしい。人間になりたい、人間になりたい、人間として扱ってほしい。感情を持って仕事がしたい。感情をもっていきたい。生きていて楽しいと言いたい。死んだっていいやなんて、思いたくない。

 

悲しかった。本当に瀬戸際のときに君はがんばってるね、と目上の人に缶コーヒーをもらった時に感謝と同時に自分の苦しみは120円か、と思ってしまったことが本当に悲しかった。自分が、もう、別の人間に変化してしまったみたいで悲しかった。もう私は人間ではないのだと思った。その時のことを思い出すと苦しくなってしまう。

もう自分は死んだっていいんだと思ってしまって、それも悲しかった。生きる意味とか価値とか誰かが必要としているとかそういうことをルーティンワークを続けていると忘れてしまっていって、それが怖かった。

 

そして別に対して給料や評価があがってるわけでもないのがつらい。口で褒めてるだけじゃないかよって、思う(笑)

なのに周りは私が高い評価をもらってると勘違いしてひどい当たりで接してくる人間もいる。ふざけてると思う。

 

感情が摩耗して人への感謝も忘れて自分の価値もよくわからないで打ち解けられる人もあまりいないまま人目を気にしながらやる仕事でもらえる給料はこれっぽっちか、ともそんな仕事しかできない人間がもらえる価値もこんなもんか、とも思う。

 

自分の苦しみばかりに目を向けてまわりの人や隣にいる人の苦しみにも目を向けられなくなっている、自分が辛いのをわかってほしい、みたいな最低な人格が目を覚ます。早く目を閉じてしまえ、そんな気持ちは。

 

 

なにはともあれ、もうお休みだ。週末まで仕事のことなど忘れていい。週明けでも忘れてもいい。もうさようなら、さようなら。

 

こんにちは、自分。

 

 

夜は眠っている

空気圧がどんと下がったような室内にエアコンのゴウゴウだともぼうぼうだとも言える音が響いている私は床に座りスマホを両手で抱えている彼はベッドで眠っている私は数分前に消した真っ暗なテレビを見つめているさっきから喉がむず痒い腫れているような心地がある咳をこんこんと繰り返している雨はまだしとしとと降り続いている


夜はぼんやりと言葉が踊っているだんだんと頭を文字が包んで眠くなる前に一言


おやすみなさい

思った通りにならない

そんなことがかさなる時は、自分の驕りが重なっている時だ、きっと。


私が大丈夫だと言えば、大丈夫なのだろうか。優しくていいね、理解があっていいね、という言葉に感情は踏み潰されていく。


だから腹が立って虚しく思ったけれどと言ってしまった。


こんな感情や期待などがなければ救いやぶつけようのない感情に支配されることもない。人間は誰にも必要とされない感情をどうして持つようになってしまったのか。


子供のようなワガママ、期待。頭ではわかっているのに飲み込むことが出来ない。

心はなぜ必要なのか、わからない。ペッ○ーくんにでも、なってしまえばいい。

春の訪れ

最近風が生暖かい。

それで、あぁ春が近付いたのだなと感じる。


あとは花粉。鼻がむずむずする。マスクをして生活をしている。

マスクがあるとくしゃみの数も減るのと、マスクの下でどんな顔しててもいいのでいい。

大抵小顔体操してる。


久しぶりに実家に帰った。

よく実家の近くまでは地元の友達に会いに行ったりもするので街並みは懐かしくはなかった。

でも、昔のバイト先のデパートに立ち寄ったら結構中は変わっててびっくり。服を買おうとしてやめた。あとバイト先も立ち寄ろうとしてやめた。


友達の趣味つながりの友達にDJとかVJのやりかたを教えてもらった。でも向いてない気がする。


難しい。



目の前の男性がグレープフルーツジュースをのんでむせていた。


世知辛い





最近趣味だの何のつながりを持たない人と会話の内容に困ると恋愛の話になる。

だれがどうの、ああのと人の話を聞いている分にはへえへえほーへいへいほーと与作になって終わるのだけれど自分の話になると困る。


相手はぶっきらぼうに見えて優しい人で私は人当たりよく見えて内面がちょっとアレなので、お互い二重人格だと面白いねと言われた。そうなのかもしれない。


そうなのかもしれない。



今、電車に乗り込んだセレブが目にすごい瓶に入った何かを点眼していたのだけれど、あれはアロマオイルなのだろうか?

きっといい香りが目からするんだろう。



ぱちぱち。



堂々巡り

よく自分が何者なのだかわからなくなる。


会話をしていても、なにをしていても、相手や関係者からみた自分というものを損なわないようにしながら、できるだけ相手の普通や許容範囲に沿った形で人格形成をしている。もしくは許容範囲外の発言をしてわざと会話を終わらせてしまう。会話が苦痛で仕方がない。

人格形成というか言動を変えている。自分らしくあれと言う人間やいいこぶるなという人間にはそれなりの悪態や過激な言葉づかいをもってそれなりにやり過ごしてしまう癖がついた。


と考えている自分も偽物なのかもしれない。


本当は悪い人間なのかもしれない。だけれど、人の事はなるべく悪く言いたくない。でも、言わないとつまらない奴と排除されるのではないかという妄信が消えない。


それこそいいこぶってるのかもしれない。でも何が悪いことをするというのはなにかしらのリスクがあるし面倒なのである。例えば悪口を言えばそれが漏れるリスクもあるし言った相手に対してほかにばらまかないかのマネジメントを常にしないといけなくなる。秘密もそう。


それなのに悪いことを話したりやったりいいこぶってみたり自分はなんなのだろう。

私は誰なんだろう。



そうしてみたって器用でないからうまくやれず、結局人に馬鹿にされている。表向きでは優しい人間も酒が入るだの、様々な側面で顔を出す仕草から伝わる。悲しくて、怖い。そして尊厳を守られる要素のない自分はなんなのだろうとおもう。顔が醜いからか、体型が醜いからか、性格なのか、声なのか、話し方なのか、知性にかけるからか、いじめられていたからか、馴染めないからなのか、わからない。消えてしまいたいとその瞬間に思う。消えてしまいたい。


もちろん自分に対して善意を向けてくれる人もいる。でもうまくそこだけに目を向けられない。いつだって同じような心無い言葉に傷つけられている。


もっと自分のことじゃなくて外に目を向けたい。

自分はわたしは周りから、なんて子供みたいなことはもう言ってられない。


でも、自分の肯定できなさや受け入れられなさ、馬鹿にされているような雰囲気はずっと変わらない。堂々巡り。




私は誰なんだろう。誰になればいいんだろう。


裁縫セット

昨日酔っ払ってしまって、いつの間にか朝になっていた。

朝まで繋いでいた電話は私の平日6時にかけているアラームによって切れてしまう。その音が聴こえたけれども、なにもできずに目を閉じる。


内臓が、熱い。


それなりの時間になって歯医者さんに向かう。下の歯の歯石を取ってもらった。来週は上の歯。


そのあと帰ってきて部屋の掃除をした。さすがに荒れている。掃除といっても掃除機をかけるところにまでは至らず、クローゼットなどの整理と断捨離を実施した。


そして、…あろうことか、こたつで寝ていた!!!!


なんていうことでしょう。





何ということでしょう!!!!



さんざん寝たのに、また寝た!!!




あぁ…せっかくのおやすみが。ジムにも行きたかったのに。





最近は、よく涙が出る。よくわからない理由で出る。

少しの傷ですぐに破ける私の心は針でちくりと刺されただけでも破裂してしまうのだろうか。

そして、泣き真似をしてその場を凌ごうとして本気になって泣いてしまう時もある。子供か。


涙の理由をよく聞かれる。なにを思っているのか言葉にしないと、とも思う。

ただ、それがわからないことが多い。なぜか悲しい、と言うよりも自分がいなくなってしまえばいいのにという感情で頭がいっぱいになってしまう。

そして、そんなことに捕まる自分はその人にとって疎ましいのだと、思うと苦しい。


その時に、心を縫ってもらえたことがあって。それが嬉しかった。

といってもこれは比喩表現でなく、本当に胸元で縫う仕草をするというものなのだけれど。

それが嬉しかった。


破けたものは、それで用無しなのではなく、また治せばいいのだ。

つぎはぎでもいい味がでればいいんだ。


やぶけなければ、壊れなければ、見えない形もあるんだ。



嬉しかった。



ついでにいうと、ちくちくと胸元でやるあの動作が、可愛かった。少し癒された。