ホットケーキは生がいちばん

頭ゆるゆるなインターネット

夜は眠っている

空気圧がどんと下がったような室内にエアコンのゴウゴウだともぼうぼうだとも言える音が響いている私は床に座りスマホを両手で抱えている彼はベッドで眠っている私は数分前に消した真っ暗なテレビを見つめているさっきから喉がむず痒い腫れているような心地がある咳をこんこんと繰り返している雨はまだしとしとと降り続いている


夜はぼんやりと言葉が踊っているだんだんと頭を文字が包んで眠くなる前に一言


おやすみなさい

思った通りにならない

そんなことがかさなる時は、自分の驕りが重なっている時だ、きっと。


私が大丈夫だと言えば、大丈夫なのだろうか。優しくていいね、理解があっていいね、という言葉に感情は踏み潰されていく。


だから腹が立って虚しく思ったけれどと言ってしまった。


こんな感情や期待などがなければ救いやぶつけようのない感情に支配されることもない。人間は誰にも必要とされない感情をどうして持つようになってしまったのか。


子供のようなワガママ、期待。頭ではわかっているのに飲み込むことが出来ない。

心はなぜ必要なのか、わからない。ペッ○ーくんにでも、なってしまえばいい。

春の訪れ

最近風が生暖かい。

それで、あぁ春が近付いたのだなと感じる。


あとは花粉。鼻がむずむずする。マスクをして生活をしている。

マスクがあるとくしゃみの数も減るのと、マスクの下でどんな顔しててもいいのでいい。

大抵小顔体操してる。


久しぶりに実家に帰った。

よく実家の近くまでは地元の友達に会いに行ったりもするので街並みは懐かしくはなかった。

でも、昔のバイト先のデパートに立ち寄ったら結構中は変わっててびっくり。服を買おうとしてやめた。あとバイト先も立ち寄ろうとしてやめた。


友達の趣味つながりの友達にDJとかVJのやりかたを教えてもらった。でも向いてない気がする。


難しい。



目の前の男性がグレープフルーツジュースをのんでむせていた。


世知辛い





最近趣味だの何のつながりを持たない人と会話の内容に困ると恋愛の話になる。

だれがどうの、ああのと人の話を聞いている分にはへえへえほーへいへいほーと与作になって終わるのだけれど自分の話になると困る。


相手はぶっきらぼうに見えて優しい人で私は人当たりよく見えて内面がちょっとアレなので、お互い二重人格だと面白いねと言われた。そうなのかもしれない。


そうなのかもしれない。



今、電車に乗り込んだセレブが目にすごい瓶に入った何かを点眼していたのだけれど、あれはアロマオイルなのだろうか?

きっといい香りが目からするんだろう。



ぱちぱち。



堂々巡り

よく自分が何者なのだかわからなくなる。


会話をしていても、なにをしていても、相手や関係者からみた自分というものを損なわないようにしながら、できるだけ相手の普通や許容範囲に沿った形で人格形成をしている。もしくは許容範囲外の発言をしてわざと会話を終わらせてしまう。会話が苦痛で仕方がない。

人格形成というか言動を変えている。自分らしくあれと言う人間やいいこぶるなという人間にはそれなりの悪態や過激な言葉づかいをもってそれなりにやり過ごしてしまう癖がついた。


と考えている自分も偽物なのかもしれない。


本当は悪い人間なのかもしれない。だけれど、人の事はなるべく悪く言いたくない。でも、言わないとつまらない奴と排除されるのではないかという妄信が消えない。


それこそいいこぶってるのかもしれない。でも何が悪いことをするというのはなにかしらのリスクがあるし面倒なのである。例えば悪口を言えばそれが漏れるリスクもあるし言った相手に対してほかにばらまかないかのマネジメントを常にしないといけなくなる。秘密もそう。


それなのに悪いことを話したりやったりいいこぶってみたり自分はなんなのだろう。

私は誰なんだろう。



そうしてみたって器用でないからうまくやれず、結局人に馬鹿にされている。表向きでは優しい人間も酒が入るだの、様々な側面で顔を出す仕草から伝わる。悲しくて、怖い。そして尊厳を守られる要素のない自分はなんなのだろうとおもう。顔が醜いからか、体型が醜いからか、性格なのか、声なのか、話し方なのか、知性にかけるからか、いじめられていたからか、馴染めないからなのか、わからない。消えてしまいたいとその瞬間に思う。消えてしまいたい。


もちろん自分に対して善意を向けてくれる人もいる。でもうまくそこだけに目を向けられない。いつだって同じような心無い言葉に傷つけられている。


もっと自分のことじゃなくて外に目を向けたい。

自分はわたしは周りから、なんて子供みたいなことはもう言ってられない。


でも、自分の肯定できなさや受け入れられなさ、馬鹿にされているような雰囲気はずっと変わらない。堂々巡り。




私は誰なんだろう。誰になればいいんだろう。


裁縫セット

昨日酔っ払ってしまって、いつの間にか朝になっていた。

朝まで繋いでいた電話は私の平日6時にかけているアラームによって切れてしまう。その音が聴こえたけれども、なにもできずに目を閉じる。


内臓が、熱い。


それなりの時間になって歯医者さんに向かう。下の歯の歯石を取ってもらった。来週は上の歯。


そのあと帰ってきて部屋の掃除をした。さすがに荒れている。掃除といっても掃除機をかけるところにまでは至らず、クローゼットなどの整理と断捨離を実施した。


そして、…あろうことか、こたつで寝ていた!!!!


なんていうことでしょう。





何ということでしょう!!!!



さんざん寝たのに、また寝た!!!




あぁ…せっかくのおやすみが。ジムにも行きたかったのに。





最近は、よく涙が出る。よくわからない理由で出る。

少しの傷ですぐに破ける私の心は針でちくりと刺されただけでも破裂してしまうのだろうか。

そして、泣き真似をしてその場を凌ごうとして本気になって泣いてしまう時もある。子供か。


涙の理由をよく聞かれる。なにを思っているのか言葉にしないと、とも思う。

ただ、それがわからないことが多い。なぜか悲しい、と言うよりも自分がいなくなってしまえばいいのにという感情で頭がいっぱいになってしまう。

そして、そんなことに捕まる自分はその人にとって疎ましいのだと、思うと苦しい。


その時に、心を縫ってもらえたことがあって。それが嬉しかった。

といってもこれは比喩表現でなく、本当に胸元で縫う仕草をするというものなのだけれど。

それが嬉しかった。


破けたものは、それで用無しなのではなく、また治せばいいのだ。

つぎはぎでもいい味がでればいいんだ。


やぶけなければ、壊れなければ、見えない形もあるんだ。



嬉しかった。



ついでにいうと、ちくちくと胸元でやるあの動作が、可愛かった。少し癒された。